フーベルト・ザウバー監督『ダーウィンの悪夢』
アフリカ/タンザニア/ヴィクトリア湖を舞台としたドキュメンタリー映画。
ヴィクトリア湖に大繁殖したナイルパーチ、そこに発展した水産業を中心として、グローバリゼーションに翻弄されるタンザニアの惨状を描く。
映画のタイトルは、その生息生物の多様性からかつて「ダーウィンの箱庭」と呼ばれたヴィクトリア湖から。ヴィクトリア湖では50年ほど前に放流されたナイルパーチが大繁殖し、その生態系が崩されている。
ナイルパーチはスズキに似た魚で、体長2m、重さ100kgほどの巨大な肉食魚である。あまりなじみのない名前だが、日本でも冷凍食品や飲食店で白身魚のフライとして出されるものの大半はこれであり、僕らが口にする機会も多い。
livedoorの通販でも売られている。
livedoor
これは『ダーウィンの悪夢』の広告に載っていたものである。
映画はこの現実をざらざらとした質感で映し出す。音楽もナレーションもない。
以下、それぞれイメージのコマ別に、映画の場面を見ていこう。
ナイルパーチの大繁殖とヴィクトリア湖の環境破壊
2コマ目は注意が必要である。
ヴィクトリア湖の環境破壊はナイルパーチ以外にも「急激な人口増加、森林伐採、工場の煤煙、農業用水の汲み上げ、生活排水の流入など」さまざまな原因がある。
また、ナイルパーチが在来種のシクリッドを絶滅寸前まで追い込んだが、現在はそのバランスも変わっているようだ。
2003年から2005年にかけて、漁獲に占めるナイルパーチの比重が減り、他の魚種が増えている。
1998年には91%ほどを占めていたナイルパーチは2005年には69%程度まで落ち、代わって増えてきているのは絶滅を危惧されていたシクリッドである。
ダルエスサラーム便り
ナイルパーチ産業の産み出す格差
映画で詳しく描かれるのは4コマ目から。
ここで儲かった一部の人として登場するのが、ナイルパーチ加工場のオーナーである。オーナーは自らの工場を誇り、ナイルパーチは地域に富をもたらした宝だと語る。この工場に勤める従業員は約1000人。確かに彼らは豊かになったであろう。ナイルパーチ産業が30万人の雇用を創出した。これは事実。
「一部の人は儲かる」。パイが大きくなるのだから、おこぼれに預かる人々も増える。ナイルパーチに関わったためにかえって貧しくなったということは考えにくい。そこで生まれるのは貧困ではなく、格差である。
ヴィクトリア湖には仕事を求め人が集まる。ヴィクトリア湖内にはそうして集まってきた漁師の住む島が数多くある。内陸からヴィクトリア湖に移り住んできた漁師は、自身の兄の墓前で語る。島は貧しく、医者も医療施設もない。島にいても死を待つだけなので、病気の者は内陸の村に返される。村で十分な治療を受けるためではない。死んでしまうと、死体を運ぶのにお金がかかるため、生きて動けるうちに自力で帰ってもらうのだ。そうすれば、「通常料金で済む」。
さらに下層も、もちろんある。職に就けなかった若者たち、職にあぶれた元漁師、元農家、そしてこの先のコマで取り上げられる売春婦、ストリートチルドレン。彼らはナイルパーチ加工場から出る魚のアラを食べ、売り、生活している。
ナイルパーチ加工場をトラックが巡る。巡るうち、荷台はナイルパーチのアラで一杯になる。アラを満載したトラックは「骨場」と呼ばれるゴミ捨て場に向かう。荷台があけられ、アラはずるずると地面に引きずり下ろされる。荷台や地面には何の敷物もなく、ナイルパーチのアラは泥にまみれる。骨場で働く者は、そこから大きなカゴ一杯にアラを持っていく。そして木で組んだ枠に干す。
アラは粉末にされ鶏の飼料となるほか、揚げられるもの、燻製にされるものもある。後者は人が食べるものである。
骨場には燻製を作るための煙が一日中絶えない。扱うものが生ごみであるから、腐ってアンモニアガスが発生する。もちろん有毒で、労働者たちの体を蝕む。足元の泥には大量のウジが沸く。
そこで働く女性は、アンモニアガスにやられて右目がつぶれていた。ガスのため常に腹痛があり、雨の日は下痢になるという。
「骨場」には子供もいる。子供はトラックからアラを一匹分取る。魚の眼孔に指を突っ込み持ち上げる。ナイルパーチは子供より大きい。尾を引きずって持ち歩く。べちょりと落とす。
売春婦
5コマ目は売春婦である。
街の飲食店でパイロット達が歓談している。その横には売春婦がいる。パイロット相手の売春は10ドル。乱暴された際のことを語り、彼らは冷たいと言う売春婦達、だがこの生活を続けるとも言う。売春婦の一人エリザは、取材期間中にオーストラリア人に殺された。
漁業キャンプの売春婦は、エイズで自身の夫を失った女性が多い。彼女らは自分の子供をエイズでなくして初めて、自身がエイズに冒されていることを知る。エイズでやせ細った女性は、肩を担がれテントに移動する。もう何もできない、食べることもできない、インタビューに対して彼女自身が答えたのはそれだけだ。
漁業キャンプで牧師は語る。エイズであることを知らぬまま売春がされ、キャンプにエイズが蔓延する。識字率が低いためコンドームの使用者も少ない。
牧師は売春を止めるよう説教をする。コンドームの使用は奨励しない。コンドームをしようがしまいが、婚外交渉は罪だから、教会はコンドームを奨励できない。
ストリートチルドレン
6コマ目。この映画では、彼らをいたるところで目にする。
夜の街を必死で逃げる彼ら。足が一本ない者も、松葉杖を器用に使い、負けないスピードで逃げる。だがつかまる。捕まえたのは年長のストリートチルドレンのようである。そしてけんかが始まる。
子供達にも階層がある。年長者は強く、若年者は弱い。若年者は襲われぬようタバコを吸う。
ストリートチルドレンには女性もいる。だが圧倒的に少ない。あるグループのリーダー格の少年は、年長のストリートチルドレンに性的虐待を受けたのだと、隣の女性を紹介した。
あるストリートチルドレンが缶を見つける。仲間に見せ、穴が開いてないことを確認する。その缶で米を炊く。炊き上がるころには周りに他のグループの子供も集まる。奪い合いが始まる。こっちによこせ、持っていくな、そっちで食べるな。ご飯は年長者に奪われ、子供の輪の真ん中に置かれる。いっせいに手が伸びる。米は一瞬でなくなる。子供達は手に米を抱え、そのまま口に放り込む。米を片手に持ちながら、もう片方の手で殴り合いをする者もいる。殴りあいながら食べる。
紛争の気配と、ナイルパーチが運ばれる先
ナイルパーチの輸送はロシアの航空会社が行う。安く、積載量が多い。
飛行場付近には離陸に失敗した飛行機の残骸が残っている。管制塔の無線が壊れているため、地上で光らせるライトでパイロットにメッセージを送る。
パイロットはロシア人で、現地では広い家に滞在する。自炊もするし、外食もする。テレビにデジカメをつなぎ、家族を映し、懐かしむ。
テレビでタンザニア飢饉の恐れが報じられる。*1パイロットはチャンネルを変え、コメディを見る。
飛行機に積んで帰るのは魚、何を持ってくるのか。空、トランク、機材か何か、人々の答えは定まらない。
パイロットは魚を揚げながら話す。政治の話はしたくない。以前戦車らしきものを2度運んだ。それは他国の話。世界中の子供達に幸せでいてほしいと思うが、どうしていいかわからない。
魚の研究施設を警護する元軍人の男。弓矢を持っている。研究所の柵を越えてから射る。毒が縫ってあるのでかすり傷でも死に至る。前任者が殺されたためにこの職を得られた。収入は少ないが生活できないほどではない。元軍人が軍隊に戻るのは難しいが、戦争になれば雇われるだろう。戦争は怖くない。この国では多くの人が戦争を望んでいる。
ドキュメンタリーは現実か?
この映画がアフリカの現実か。その通りだ。この映画がタンザニアのすべてか。そうではない。世界は複雑で、切り方によってさまざまな姿を見せる。さまざまな姿はすべて現実。この映画はそのひとつ。
ムワンザは、決して危険な街ではない。娼婦たちだけでなく、昼には暑さでぐったりしているストリートチルドレンたちも、日が暮れると動き出し、街は活発になる。たいていの店では、残飯を狙うストリートチルドレンを無碍に追い払うようなことはしないし、お金を払って食事をしているお客もすすんでわけ与えたりしている光景を見るだろう。時々、韓国人のボランティアがストリートチルドレンを相手に、路上で青空教室をはじめる。向こうの角では、別の子供たちが合唱している。娼婦たちは一様にひどく陽気で、誘いを断っても急に冷たくなるようなことはあまりない。
http://www.rollingkids.com/blog/archives/2006/12/uil_ebi.php
これは、Kazuさんの視点で切り取ったタンザニアの姿。これも現実。
日本に例えて話をしよう。
僕は会社勤めをしており、給料をいただいて生活している。窮屈でない家に住み、おいしいご飯を毎日食べている。勤務時間は長いものの、健康に影響のあるほどではない。休日には買い物に出かけたり、外食をしたりする。これが僕の普段の目線から切り取った、日本の現実。多少問題があるものの、豊かで幸せである。
別の切り取り方をする。
原宿の宮下公園に多数住まうホームレス、生活のためダンボールを山と積んだリヤカーを引いて歩く老人、非正規雇用で働いても家賃が足らず漫画喫茶で暮らすワーキングプアの若者、六ヶ所村の核燃料再処理施設で被爆しながら働く人々、すべて現実。僕らのすぐそばにある現実。目に見える形で存在している現実。
どちらの断面についても、これが日本だ!とやられてしまっては、ちょっと待てそんな(あまい/つらい)もんじゃないよと言いたくもなるだろうが、どちらも日本の現実。
そして、これもタンザニアの現実。
特別ではない、だからなんだ?/で、どうすればいいの?
映画はタンザニアヴィクトリア湖周辺のケースだが、なんら特別なことではない。紛争、貧困、エイズ、アフリカ全土に蔓延っている。貧困はアメリカにもアジアにもあるし、もちろん日本にもある。紛争もアフリカに限ったことではない。
飢餓問題の国際権威、ジャン・ジグレールは、「飢えは自然淘汰である」とする理論について、根本的に間違っているという一方で、正常な感覚を持った人々にとって、飢餓に苦しむ人々の映像は見るに耐えないと語る。
そういう人びとが良心の呵責(かしゃく)から逃れるために、あるいは現状に対する激しい怒りを抑え込むために、自分でもそれと気づかないうちにこのエセ理論に頼っている。悲惨な光景を忘れ、抑え込み、ないものとして心の目を閉ざそうとしている……。そして「やり過ごそう」というわけだ。
ジャン・ジグレール『世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実』
特別ではない、これもやり過ごすための方便である。
特別ではない、だからなんだ?
で、どうすればいいの?映画では、この問いに対する答えは示されない。
そもそもこうすればいいなんて答えが出るような単純な問題であれば、それはもう解決される問題である。
さらに言うと、この映画を見たから何か行動しなければならないなんてこともないし、何か考えなければならないわけでもない。
映画が終わりぽつんと取り残される自分もまた、現実である。
『ダーウィンの悪夢』
ジャンル:ドキュメンタリー
2004年公開(日本では2006年公開)
監督:フーベルト・ザウバー
フランス=オーストリア=ベルギー
補足1
問題をより深く理解するための本を3冊推薦する。
- ジャン・ジグレール『世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実』
先に引用したこの本は、飢餓問題の入門書である。文章は、父親が子供の問いに答えるという体裁をとっており、中高生に読めるほどわかりやすい。それでいて、著者はこの道の第一人者であるから、ポイントをはずすことはない。
非常によい入門書である。帯にはヨーロッパでベストセラーであると書かれている。
- ジャン・ジグレール『私物化される世界―誰がわれわれを支配しているのか』
グローバリゼーションの問題をさらに詳細に知りたければ、未読ながら同じ著者のこの本をお勧めする。紹介は以下の記事に譲る。こちらの紹介記事もすばらしい。
http://mahamaha.cocolog-nifty.com/kyoyo/2006/02/post_eeb2.html
日本に輸入されるバナナについて、その生産から日本に至る過程を細やかに追い、日本とフィリピン、多国籍企業と地元農家、使う側と使われる側の不均衡な構造を描く。
ナイルパーチと同様、グローバリゼーションは既に日本の食卓まで侵食している。
この本は評価が非常に高く、名著と言われている。
こちらも僕は未読である。
補足2
「タンザニアのことをよく知らない学者」と批判されている勝俣誠教授は、『世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実』の監訳者でもある。
タンザニアの専門家ではないかもしれないが、貧困、南北問題の専門家である。