アフリカと向き合う3つの名言

JVC事務局次長の壽賀一仁さんとお話しする機会があって、その席で、アフリカと向き合う上でとても大事と思える言葉をいただいた。自分の備忘として書く。

単位で物事を捉えると、見誤ることがある。根本はあくまで一人の人。

ジンバブウェの農民が、なぜ自分達の手で農業を再建できたのか。それは国民性によるものなのか、という話のなかで出てきたのがこの言葉。ジンバブウェの農民は、白人大農場の経営によって失われた地域固有の植生、文化を取り戻すべく活動し、それが人々の生活を豊かにしている。詳しくは以下の記事に。
東京都調布市 壽賀 一仁 3日目: 今週の私
そういう活動をしている村にしても、いろいろな人がいて、新しい物好きな人がいろんな農法を試してみたり、そういうのをじっと見ている人がいたり、寝る間を惜しんで働いてきれいな畑を作る人がいたり、その隣の人がその農法をほんの少しだけ真似してみたり、そういういろんな人がいる中で、試行錯誤を繰り返しながら、徐々に再建が進んでいった。農業の再建は、国とか国民性とかいう言葉では捉えきれない、一人ひとりの生活や、彼らの交流の積み重ねの上にあるものだ。

アフリカでは平均は意味をなさない。ダイナミックに変化する環境に対応して生きていくすべが必要になる。

たとえば年間降水量が平均500mmといっても、それは100mmの年もあれば1000mmの年もある中での数字。日本のように、大体平均に近い雨が降る、という環境じゃない。そんな環境だから、日本みたいにある程度の降水量を見込んで、それに合わせて作付けをすると大きなダメージを受ける。

信頼関係も、ダイナミックな環境の中で、ダイナミックに変化する。

前述のような環境の中だから、それに応じて人と人との関係も変化する。日本のように関係性が固まるのではなく、くっついたり離れたり、助け合ったり敵対したりというのが、信頼関係の中にある。1番目の言葉とも共通するが、この民族とこの民族、この地域とこの地域は敵対している、というのは一面的な見方で、その中の関係も、日々変化している

この日は、外語大で アフリカ有機農業勉強会があり、壽賀さんはその講師で、ジンバブウェの事例を紹介した。上のお話は、その後の懇親会で飲みながら聞いたお話。なのでジンバブウェのことが念頭にあるが、どれも他のアフリカ諸国を当てはめてもいえること。そして、アフリカを考える上で、大切な視点だ。


あとは個人的に勉強になったことをメモ。

地元の有機的なつながりを活かした活動。

従来からある地域固有の生態系というのは、生える草にしろ、木にしろ、水の沸く場所にしろ、その全てが何らかの関わりを持って、ある。ジンバブウェの人たちは、白人農業で破壊されたそれを再建したわけだけれども、手付かずの自然を取り戻した、というわけじゃない。彼らは地域固有の生態系を取り戻しつつ、それを壊さないような農業をはじめた。水が枯れないよう、土地が流出しないよう、地力が落ちないよう、その地域が本来持っている循環の中で、それを活かした農業。それは環境面で持続的であることはもちろん、外から持ち込まないので経済面の負担もない。

ムガベ政権が国際的に非難されているおかげで、ジンバブウェには国際的なアグリ企業はほとんど入ってきていない。

投機フィーバーにおどらされるアフリカ農地」では、アフリカ諸国の農地が次々とアグリ企業に買収されていることが書かれている。国の経済が立ち行かない中で農業が成功していると言っても、それは農民が最後に拠
って立つところでもあるので、これが政府によって進められたらえらいことになると思う。が、企業にとってはジンバブウェで活動する事はムガベ政権を支援することにもなるとして叩かれがちなので、やらないんだって。

干ばつなどに対抗するためには灌漑が必要。

いくらコミュニティ同士が協力し合っているところでも、広範囲で干ばつが起きれば助け合いようがない。エチオピアは干ばつの予兆を早期に発見する仕組みを作り、いち早く国際社会に支援を求めることで対応したが、ジンバブウェ政府にそれは期待できない。マイクロ保険、天候保険の取り組みも、いまだ実験的段階。そういう中で、住民だけで干ばつに対応することなんてできるの?って聞いたら、灌漑でいけるとのこと。もちろん日本的なコンクリートできれいに固めたようなものじゃなく。住民もそれを認識してるんだけど、まだできていないそう。