テリー・ジョージ監督『ホテル・ルワンダ』

身につまされる映画である。遠いアフリカの悲劇が他人事ではなく、自分がまさに当事者であることを思い知らされる。


ホテル・ルワンダ』は、1999年、アフリカのルワンダで起きた大量虐殺と、そこで1200人以上を自分の働いていたホテルに匿った現地人の支配人、ポール・ルセサバギナを描いた映画である。


ひとつ、ひどく印象に残った場面がある。

人々が救出を待つホテル「ミル・コリン」に外国の軍隊が訪れる。人々は介入軍による救出と思い、これで身の安全が守られる、事態が鎮静化すると喜ぶ。
しかし彼らは介入軍ではなかった。先進国は紛争に介入することを恐れ、介入軍を出さなかった。彼らは現地に残された外国人のみを助ける役目を負っていた。
平和維持軍としてこの地に常駐していた国連軍の大佐は、この事実を知ると帽子を叩きつけて怒り、ジャーナリストは現地で知り合った女性を助けたいが何もできず、何にもならぬと知りながらお金を渡してしまう。傘を差し出す現地のホテルマンを払い、「(自分が)恥ずかしい」とつぶやいてバスに乗る。
救出と勘違いした神父やシスターが孤児を連れてくるがバスに乗ることは許されず、外国人のシスターはその場で孤児と引き剥がされバスに詰められる。

救う人も救われる人も、そして戦地に残される人も、皆が自身の無力にうちひしがれる。

救いを求める手を振り払う。その場の人たちにとって、それがいかに不本意なことであろうと、そうせざるを得ない。無情の場面である。


ここでルワンダの手を振り払ったのは、先進諸国である。先進国は彼らを助ける力を持っているが、同時に助けないという選択肢も持ち合わせている。彼らの手を握るも離すも、先進国の肚次第というわけである。

それを象徴する場面がある。
ミル・コリンの支配人で物語の主役であるポール・ルセサバキナは、みなに知り合いの有力者に電話するよう提案する。電話を通じて相手の手を握り、その手を離すと自分が救われないことを伝えるようにと。
介入軍は来ず、民兵による虐殺が止まない状況下にあれば、ここで握った手は彼らの最後の命綱となる。これは誇張でもなんでもない。

ここで自分を振り返ってみよう。もしホテルの避難民の中にあなたの知り合いがいたら、彼は間違いなく、あなたに電話をかけてくる。たとえあなたが有力者ではなく、ただの市民であっても、彼らから見れば、どんなに頼りなくとも、あなただけが命綱なのだ。
そのときあなたは何ができるだろうか。何かできるだろうか。動くことができるだろうか。

更に思いめぐらせて欲しいのは、海外に知り合いのいない多くの現地人は、ただ救いの手を待つことしかできないということ。そして彼らに手を差し伸べることができるのは、我々先進国に住む人間だということだ。先進国に住む、ただそれだけのことで、我々は彼らを救える立場にある。

そして先にルワンダを救わないという選択肢を選んだ先進国と同様に、我々もまた、彼らを救わないという選択肢を持っている。


イラクやダルフ―ル、ソマリアの例を挙げるまでもなく、ルワンダ以外にも各地で紛争の火は燃え上がり、市民の犠牲は絶えない。Wikipediaの戦争の項目には、数多くの「継続」の文字が並んでいる。
戦争一覧 - Wikipedia

戦地から逃げることもできず、おびえて暮らす市民はもちろん、難民キャンプで厳しい生活を強いられる子どもたちや、望まぬ戦争に駆り立てられる兵士まで、救いの手を待つ人はとても多い。いくら国連や赤十字が力を尽くしたところで手が足りない。
差し伸べる手が圧倒的に足りない。


きっとこんなことは、皆重々承知のことだろう。こうやって書くだけなら簡単だが、いざ行動に起こすとなると難しい。かく言う僕も、多忙の日々を言い訳に何もしないでいる。
しかし、僕らはなにもしていないだけで、何もできないわけじゃない。何もしていない僕が言うのもおこがましいが、少し調べれば僕らができることは無数に見つかるはずだ。
そして、どんな些細な助けでも、それを待つ人たちは無数にいる。


1999年8月3日の朝、ブリュッセルのザヴェンテム空港に到着したボーイング747。その車輪格納庫から2人の死体が発見された。フォデ・トゥンカラとヤギン・コイタ、2人のギニアの少年は、高度一万メートルの低温に耐えきれずに死んだ。
死体から、たどたどしい文字で書かれた手紙が発見された。このレビューのまとめに代え、この手紙を紹介しよう。

「ぼくたちが自分の身を危険にさらして、その結果命を失ったことがわかったら、(次のような理由であることを理解してください)それはぼくたちがアフリカでひどく苦しんでいるからであり、また貧困と闘うために、そしてアフリカでの戦争を終わらせるためにあなた方を必要としているからです。それでもぼくたちは学びたい。だから、アフリカのぼくたちがあなた方と同じようになれるように私たちを助けてくれるようにお願いします……。
最後に、この手紙をほかならぬあなた方に、あえてたいへん尊敬するあなた方に宛てて書いたことをどうか許してください。でも忘れないでください。私たちの力が足りないのはひとえにあなた方の所為であることを」

http://www.hri.ca/fortherecord2000/bilan2000/documentation/commission/e-cn4-2000-52.htm
ジャン・ジグレール『私物化される世界―誰がわれわれを支配しているのか』から孫引き


ホテル「ミル・コリン」には、まだ、僕らの救いの手を待つ友人がいる。