バレンタインに読んでもらいたいチョコレートの話
バレンタインを間近に控え、デパートの催事場では軒並みチョコレートフェアが開催され、多くの人を集めている。有名パティシエの本格的なチョコレートが並ぶ様は、まるで宝石箱のようで、またチョコレートは宝石に見劣りしないほどに魅力的だ。
ここで知って欲しいのは、愛の証もしくは円滑な人間関係のために渡し、あるいは受け取るチョコレートが、どのような過程を経て作られてきたか、そのチョコレートを通じて、自分が世界とどういう風につながっているのかということだ。
チョコレートを作っているのは誰?
チョコレートの原材料であるカカオは、ガーナ、インドネシア、ナイジェリアなど、第三世界の国々で生産されている。生産量の最も多い国はアフリカのコートジボアール。全世界のカカオのうち、約40%がこのコートジボアールで作られている。
これらの国々は、植民地時代に作られたプランテーションでカカオを栽培している。プランテーションとは、安い労働力を集め、単一の作物を集中的に栽培することで生産性を上げる農園のことである。植民地時代、この安い労働力は現地で雇った奴隷でまかなわれたが、植民地から解放されて農場のオーナーは現地の人間となり、国際条約や法律で奴隷制度が禁止された現代ではどうか。
奴隷である。コートジボアールでは違法である奴隷労働が、半ば公然とおこなわれている。奴隷として働くのは9〜12才くらいの子どもである。
彼らは隣国のマリ、ブルキナファソ、トーゴなどから調達される。奴隷仲介人は親から15〜30ドルで子どもを買い、プランテーションに売る。親はその日銭ほしさに、子どもが稼いで仕送りしてくれることを期待して、あるいは口減らしのため、子どもを売り渡す。
彼らは毎日殴られながら過酷な労働に明け暮れ、給料をもらえる者や就学できるものはごく一部という状態。仕送りなどできやしない。
プランテーション農家の貧困
農園はなぜ奴隷を使うのか。自分の儲けのためかといえばそれがそうとも限らない。プランテーションで作られるカカオはその国の政府に買い上げられるが、その価格があまりに安く、コスト削減のため奴隷を使わざるを得ないという現状がある。農園主もまた貧しい。
カカオの買取価格が安いのは、そもそも国際価格が暴落しているためで、それは世界的に見てカカオが過剰に作られているためだ。供給が需要を上回れば価格が安くなるのは、市場経済の原理としてごく当たり前のことだ。その当たり前の原則が、カカオ農家とそこで働く奴隷たちを苦しめる。
フェアトレードですべて解決?
この状態を打破するための取組みとして、フェアトレードがある。生産者から我々消費者に至るまで、すべての取引を公平におこなおうという取組みだ。世界市場での価格が暴落しても、それを正当な値段で取引することで、農場の労働者には正当な対価を支払う。その分我々が購入する際の値段は高くなる。
しかしこの取組みも、いいこと尽くめとは言えない。以下のような指摘がある。
- フェアトレードはそもそもの問題である過剰生産を悪化させ、状況を悪くする。
- フェアトレードは価格保証をするので転作を阻害する。
- フェアトレードは価格保証をするので品質改善インセンティブがない。結果としてフェアトレード食品はまずいことも多い
- そもそもフェアトレードの金は農民のところにいかない。小売業者がお馬鹿な消費者識別装置として使っているだけ
「買い物かごで投票?」 よりフェアトレードの部分を抜粋
(The Economist Vol 381, No. 8507 (2006/12/09), "Voting with your trolley" p. 69) 山形浩生訳
モノカルチャーの呪縛
先の指摘で注目すべきは1,2である。
そもそも、人々はなぜ他の作物を作らないのか。自国の食糧すら十分な量を確保できず、飢餓にあえいでいるのに、なぜ輸出用のカカオを作り続けるのか。
そこにはモノカルチャーの呪縛がある。
モノカルチャーについては以前別な記事でも取り上げたことがある。国の主要な生産物が、たったひとつの作物に偏ってしまう。この状態をモノカルチャーと呼ぶ。カカオを生産する国の多くが、このモノカルチャーから抜け出せずにいる。
モノカルチャーから抜け出せない理由は、種々ある。転作するための費用がまかなえないというのもそのひとつだ。
しかし、最も大きな理由は、その生産から輸出における構造的な問題がある。
カカオを買い上げる政府は、輸出額との差額で儲けて、豪奢な生活をしている。先進国はそれでも作物を安く買えるため、互いの利害が一致しているのである。さらに食糧を輸入にたよる場合、政府は輸入業者から輸出許可料を得ることができる。これも政府の利権となっている。
この利権を守るために政府は転作を進めないし、先進国からもそこを是正しようという大きな動きはおこらない。
チョコレートから知る世界
こんなことを知ったからといって、これからチョコレートに対してどう振る舞えばいいのかということなど見えてこない。単にボイコットすればいい話でもないし、フェアトレード製品に切り替えて解決する問題でもない。
最終的にはカカオ農家の転作が進んで、カカオの生産が適切な量になればいいのだが、そこまでの道筋はまったく見えない。
僕らが美味しく食べているチョコレートの先には、このような世界が広がっている。