セミクローズド スーダン情勢報告会の記録

今年4月に行われた総選挙と、来年に控える南部独立を問う住民投票。この2大イベントとその前後の動きは、今後のスーダンのあり方にとって重要な意味を持つ。これはごく一般的な認識のようで、メディアでも総選挙前後には報道が増えた。が、これまでのスーダン情勢を踏まえた上で、総選挙の意味と、今後レファレンダムに向けた動きを分析するような記事は、残念ながら見つけられなかった。
そんな中、日本を代表するスーダン研究家の方々による、スーダン情勢報告会を知った。この報告会、もともとは研究者同士で深い議論をするための会だったのだが、どこかで間違えて一般向け的な広報がなされてしまったそうだ。ということで、結果的に大変貴重な機会を得ることができた。


会の趣旨は、
岡崎「何が起きているのかわからないところがいっぱいある。しかし、部分部分でわかるところは、それぞれ持っている。それを持ち寄ろうというのが趣旨。だからお集まりの皆さんも持っているものを出してもらいたい」*1
ということだそうで、果たしてその期待通り、客席も含めて活発な議論が交わされた。


ずいぶん長いので論点をまとめると、

  • 2010年の総選挙は、もともとスーダン民主化を目指したものだったが、それは失敗した。
  • 2010年のレファレンダムは実施され、南部は独立するだろう。
    • ただし、レファレンダム後の社会についての議論はされておらず、混乱が予想される。
    • "New Sudan"を実現しようという動きも、ジュバ会議勢力などによっておこなわれつつある。
  • 南部では、知事選でも各地でSPLMが勝利したものの、SPLMへの批判票が多く集まった。
    • 公正な選挙が行われないと、元兵士、元幹部の不満が溜まり、反乱も起きている。
  • 今後のスーダンのあり方として、各州の独立性を高め、各州のゆるやかな連合(コンフェデレーション)としようという動きもある。
  • CPAの評価
    • 内戦が終結したこと、それにより多くの人々が平和を教授できていることは事実。
    • その安定は国際社会の押し付けではなかったか?
  • ICCによる逮捕状
    • 南部の独立と、バシル体制の温存を後押しする結果になった。
    • 逮捕状によって、バシルの政治生命は絶たれた。スーダンはバシルがいるうちはまともな国として見られず、民主化された後に逮捕されるだろう。


出席者は以下の方々。

あとは客席から議論に加わった方で、

  • 石井祐一(前駐スーダン大使)
  • 研究者(アフリカ研究者の方、お名前失念)

スピーカー4人のうち3人の日本人は、先の総選挙の折、日本の選挙監視団として現地で活動された方々だ。客席の
石井さんはその団長を務めた。
アブディンさんは、東外大で学ぶスーダン人の大学院生だ。


入門的な説明がないので、そのあたりはコチラの資料をご参照。
「岐路に立つスーダン」事前資料 (PDF 2.1MB)
僕が所属してるボランティアチームで作った、入門的な資料です。

2010年の総選挙の意味

アブディン「今回の総選挙は、CPAに参加できなかった政治勢力が、スーダンの政治プロセスに参加するという意義を持っていた。もともとCPAはNCPとSPLM間だけの排他的な合意であり、それ以外の勢力、北部勢力は排除されていた。しかし北部勢力は、軽視できない存在で、この選挙を通して主要なプレーヤーの一つに戻ることが期待されていた。
しかし選挙に際して、北部勢力は自由にアピールができなかった。テレビでザワヒリのスピーチが放送されたが、NCPに触れた部分はカットされた。NCPによるメディアの支配は未だに続いている。
自由で公正な選挙が行われないことが見えてくると、選挙を延期すべきという声が上がったが、NCPは強行、アメリカはそれを黙認した。
結果、北部ではNCPが、南部ではSPLMがそれぞれ圧勝した。しかし、NCPとSPLMが勢力を維持したこの結果は、CPA締結時点から予想できたことだ。
他国で行われているCPAでは、民主化が主な柱となる。しかし、スーダンCPAは、南部の自決権を優先したために民主化の面で妥協した。この選挙によって、SPLMはNCPの北部での存続を手助けしたと言える。
一方のNCPは、南部独立を不可避と見ており、今回の選挙では北部での権力を固めたいという思惑があったようだ。
この選挙結果は、CPAの履行を進める上では良い結果だったのではないか。他の勢力が力を持つ結果となれば、今後どう展開するか予測できない。この選挙結果は、世界的に見ても、レファレンダムに向けた重要な通過点であった。
CPAによる民主化のプレッシャーを、NCPは受けていた。しかしSPLMが妥協することで、その障害を回避し、選挙がうまくいった。
スーダンの紛争については、北部での権力闘争が重要なファクターとなる。CPAは処方箋として有効か疑問だ」


栗田「この総選挙は、CPAの中で、スーダン全体の民主化へのチャレンジという性格を持っていた。CPA以外の勢力も含めて、自由で公正な選挙を行い、民主的な変容が起こることが期待されていた。民主化によって富の偏在が是正されれば、南北スーダンが分離する必要もなくなるのではないか、という期待もあった。
しかし、このチャレンジは、(バシル)独裁政権の下で独裁政権民主化するという、難しいチャレンジだった。NCPは民主化をサボり、言論、集会の自由はもたらされなかった。
NCPは、CPAにより南部については譲歩したが、ダルフールに対しては断固として譲歩せず、弾圧を強めた。ダルフール問題は現在も解決しておらず、ダルフール地方の住民は選挙にも参加できなかった。
今回の選挙は、一度の延期を経てのものだったが、この延期はバシル政権による時間稼ぎであった。住民登録や人口調査は、NCPに有利となるよう進められた。選挙前からその兆候は見えており、ゆがんだ選挙、民意を偽装する選挙になるということで、北部ではほとんどの政党が選挙をボイコットした。
一方SPLMは、北部では候補者を引き揚げたものの、南部ではそのまま選挙を行った。これは、ゆがんだ選挙を暗に認めたことと同じだ。
総じて今回の選挙は、NCPの御用選挙であった。しかし北部勢力は、この選挙が茶番であるというマスコミへのアピールに成功した。これはバシル政権に対して、ある程度のダメージを与えることはできただろう」


栗本「2009年11月、住民登録の際、南部に居た。住民登録のペースは遅く、それは物流の悪さと、南部の関心の低さに原因があった。南部では、総選挙は仮の選挙で、本当の選挙はレファレンダム、という認識が大多数だった。
今回の総選挙は、24年ぶりと言われる。確かに1986年、スーダンで総選挙があったのは事実。しかし、南部にとっては、大統領、南部大統領、州知事選挙は、今回が初めての経験。
NCPはこれまで、御用選挙を2回経験している。彼らは選挙の戦い方、勝ち方を知っていた。
SPLMから出馬した大統領候補、ヤシル・アルマンは、南部では熱狂的な支持を受けていた。大統領選からは撤退したものの、投票用紙には名前が残っており、南部では非常に高い得票率を得た。
SPLMの北部選挙からの撤退は、互いに南部・北部での勝ちを保証するという、NCPとの取り引きによる」

今後の展望 レファレンダムに向けて

混乱したままレファレンダムがおこなわれる

栗田「レファレンダムでも、総選挙と同じことが繰り返されるのではないかと予想される。つまり、選挙開始までの時間稼ぎである。現に、選挙管理委員は、未だに組織されていない。総選挙と同様、準備が整わないうちに、レファレンダムの実施に追い詰められるのではないか。
今のままだと、混乱したままレファレンダムがおこなわれる。NCPがその結果を認めない、他勢力を煽って戦闘を起こす、という泥沼の展開も考えられる」


栗本「レファレンダムについて、2008年ぐらいから、SPLMの人たちの間で話題となっていた。曰く、「南部には政府も軍隊もある。レファレンダムが実施されなければ、南部が一方的に独立を宣言すればいいことだ」」


研究者「レファレンダムは実施するだろうし、NCPによる妨害もないだろう。CPAアメリカが後押ししているためだ。CPAを反故にすると、アメリカが逮捕に動くと思い、保身に走るのではないか」


栗田「NCPが、スーダン統一を訴えるキャンペーンをするとか、SPLMとCPAの内容を再確認し、統一を魅力的なものにするという方針を再確認するという情報もあるが、バシル政権が北部に居座る時点で、南部で統一という選択が取られることはないのではないか。
SPLMは、"New Sudan" 統一された民主的なスーダン、というビジョンを掲げている。北部のジュバ会議*2勢力は、自由で公正なレファレンダムを作るべく活動し、透明性のあるレファレンダム委員会を作るなどしている。今回の総選挙で果たせなかった民主化を、そういう形で進めようとしているのだ」

レファレンダム後、解決すべき問題は山積み

栗本「南部独立については憂慮している。南部独立自体が自己目的化しており、本当に議論すべき問題が後回しになっている。これは後々ツケがくるのではないか。本当に議論すべきは、独立後、どういう国にするのか、どういう社会にするのか。
内戦からの復興・再建というのは考え方として違う。内戦での変化は不可逆的なものだ。例えば南部からハルツームに避難した国内避難民。彼らは農村での生活の仕方を知らず、母語を知らないため、村へ帰ることができない。国内避難民だけでなく、難民も状況は同じだ。農村は過疎化し、自立的な生活をする力がとても弱い。
内戦によって、同じ民族集団でも敵味方に分かれて殺し合うという状況が生まれた。この状況は、内戦終結後も続いているし、さらに悪くなっている。スーダン政府や南部政府、国連も、この問題にはまじめに対応していない。
SPLMのNCPとの取引によって、スーダン全体の民主化が遅れた。これはSPLMの戦略だが、果たして正しかったのか。今回の選挙が公正に行われなかったことで、レファレンダムも適切に行われるかが怪しくなった。そしてスーダン全体の民主化という課題は、今後もずっと解決されないかもしれない」


岡崎「国境線の制定、石油の利益の分配、借金の分配など、スーダンが分裂する上で解決すべき問題は山積み」


石井「住民の意思を尊重し、安定を維持して、ポストCPA、ポストレファレンダムへ進まなければならないが、当事者同士でそれは話されていない」

レファレンダムに対して北部は

アブディン「レファレンダムでは、南部は独立しなくてはならない。北部では平和的な政権交代の道が断たれてしまった。スーダンには、70年代にヌメイリ政権をクーデターで倒した経験がある。北部勢力が武力での政権交代を目指す可能性がある」


栗田「NCPは、レファレンダム後のプロセスを手伝わないなど、南部の独立を遅延させる可能性もある。が、バシル自体、南部にはそれほどこだわっていないように思える。バシルや北部右派は、スーダンをアラブ・ムスリムの国としたい。そのため、それに当てはまらない南部人を追い出したい、という側面もある」


アブディン「CPAは、NCPの民主化と、南部の自決権のトレードオフを抱えている。CPAで南部の自決権を認めたときに、南部の独立は決まっていた。自決権を認められて、独立しなかった国はない。南部が統一スーダンに残るという選択をした場合、北部でも、南部との分離を問うレファレンダムをやるべきという意見もある」

スーダン中部地域(青ナイル・南コルドファン)の抱える歴史的背景、課題

岡崎「南北に分けて話されることに非常に立腹している。
自分のフィールドは青ナイル州。北部に位置するが、南部との境界にある州である。
スーダンが南北で異質になったのは、植民地化後のこと。イギリスの常套手段である分断政策が採られた。それ以前には、南北の境界なんてどこにもなかった。
例えば一つの音楽があって、エジプトからスーダンに入った栗田さんがそれを聞くと、アフリカの音楽、南部から来た栗本さんが聞くと、アラブの音楽、という印象になる。食べ物についても、例えばケニアでは国内でも地域によって相当違いがあるが、スーダン国内ではそれほど違いはない。言語も、南部では主にジュバ・アラビックが話されている。
このように、北部と南部を分ける要素は、大きくはない。アラブ対アフリカという言説はスーダン内外から出されるが、そもそもこの2つはカテゴリのレベルが違う。しかし、この言説の元で、ダルフールの紛争は激しさを増した。
内戦時、青ナイルの住民は、北部軍に入るか、南部に付くかの、二者択一を迫られた。この選択次第で、血の繋がった兄弟が南北に分かれて戦闘するということもあった。両軍勢が青ナイルを引き込もうとしたことで、青ナイルは賄賂の集中地帯となった。このように、この地域は南北に翻弄されている。
また、この地域の人々は、北部の人々、南部の人々とはまったく異なる日常を経験している。たとえば、北部人による搾取。南部人は決まり文句のようにこれを言うが、実際に経験した人はごく限られている。しかし、青ナイルの人々は、実際にそれを経験している。
青ナイルの人々は、北部スーダン内の格差も、実体験として知っている。富はハルツームのごく一部の人々が握っており、それに対して北部内で反乱が起きていることも」


栗本「南部の村の人々は、アラブ人と接触する機会はほとんどない。町の商人はアラブ人だが、彼らはムドゥブル(?)として認識されている。学校に入った人はアラブ人と呼ぶが、そうでない人にとっては、アラブ人という概念自体がない。また、南部人が直接搾取されるということも無かった。SPLMが南部の制圧した地域を"解放した"と言ったが、地元から見れば「何から解放されたの?」という感じ。南部はスーダンにおいて周辺化されていたが、直接的な被害は被害はなかった」


岡崎「アブディンはアラブ?アフリカ?」


アブディン「私はスーダニーズ(スーダン人)」

地方の知事選で見えてきたこと

栗本「知事選挙に目を移すと、南部ではSPLM公認候補のほか、SPLMのメンバーだが公認を受けられずに立候補した、独立系の候補もいた。独立系の候補は、10州中4州で多くの票を得、西エクアトリア州では独立系の候補が勝った。ジョングレイ州では選挙に不正があったと、敗れた候補の配下の部隊が反乱を起こした。他の州でも正当性に疑問がついた。独立系の候補への票は、SPLMへの批判票という側面もあり、それがこれだけ出てきた」


岡崎「選挙後、南部で反乱が起きている。今回南部で反乱を起した人は、SPLMに初期から参加して戦っていた人。彼らは自分でコントロールできる兵を持っている。彼らは、「民主化を求めて戦ったのに、選挙で住民の声が生かされていない!」と訴えた。選挙での不正は、これまで公正を求めてきたSPLMの戦いを、水の泡にしかねない。
今、元SPLMの人間がどんどん逮捕されているが、公正を求めている人たちではないか?SPLMにとっては、このような元兵士、元幹部が立ち上がるのが怖いのではないか。選挙の現場では、選挙委員会がほとんどボランティアで働いている。彼らは現場のおかしさがよくわかっている。こういった人々が口を開くことも、SPLMは恐れているのではないか。
青ナイルの州知事選では、SPLMの候補者が勝利した。北部スーダンでは唯一、NCPが敗北した地域だ。当選したSPLMの候補者は、CPAは民主的なプロセスであること、CPAの背景には、かつてのSPLMの指導者、故ジョン・ガランの掲げた"New Sudan"―統一された民主的なスーダン―があることを繰り返し訴え、またNew Sudanを作るために協定を作るなど、努力を重ねた。
NCPが勝った場合、南北分離後に南部に付くことはできない。青ナイルの人々にとっては、奴隷から解放されるための選挙という意識もあった。負けると、青ナイルの歴史が終わる。
レファレンダムの権利は南部のみ。CPAでは、南コルドファン州と青ナイル州は、"Popular Consultation"を行うことになっているが、これが非常に曖昧に書かれている。細かいところはこれから決めていくことになる。土地のためになるのか、形骸化するのかも、今後次第だ」


アブディン「北部の州知事選でも、紅海側の4つの州で独立系の候補が立った。大きな部族の部族長達にはNCPからロイヤリティが支払われ、それになびいてNCPに入れる部族が出たが、一方で独立系候補に入れる部族もあり、部族間での緊張が高まった」

コンフェデレーションの可能性

岡崎「州ごとの独立性をもっと高め、民主化を進めると共に、スーダン全体を各州のゆるやかな連合(Confederation)という体制に移行していくべきではないか」


アブディン「コンフェデレーションについては、南北で提案した人もいた。独立or統一という選択肢は両極端すぎると。しかし、CPAにあるこの2択を修正する事はできなかった。南部には、「北部は常に裏切る」という意識があり、CPAに手を加えることはあらぬ疑念を呼ぶことになりかねない」


栗田「コンフェデレーションについて、ジュバ会議の勢力は、New Sudanのラストチャンスとして、イニシアチブのプロジェクトをやりたいと思っている。北部を5つの州に分け、南部もわけ、緩やかなコンフェデレーションを作る。そのために、円卓会議を開きたい」


研究者「コンフェデレーションの話がスーダン国内でできる頃には、南部は独立してしまっているだろう」


岡崎「地域の自己決定は、それができるようにコミュニティを作り直していかなきゃいけない。それは一朝一夕でできるものではなく、少しずつ積み重ねてゆくもの。コンフェデレーションも一緒。その話ができる頃には、内乱が起きているかもしれない。南部が独立後は、南部政府は「アラブのせいだ!」とは言えなくなるからだ」

他国からの影響、他国への影響

アフリカにとっての、南部スーダンの独立

質問1「南部の独立について、近隣諸国への影響は?」


岡崎「アフリカには、植民地後の国境を崩さないという合意がある。それを民族自決ということで崩すと、他の国でも同様のことを目指した動きが広まるのではという懸念がある」


アブディン「エチオピアがこの独立を恐れている。SPLMが独立を求めず、"New Sudan"を目指した背景には、エチオピアのメンギスツ政権が、SPLMを支援しており、その状態での分離独立は難しかったため」


栗本「東アフリカ諸国のコミュニティ(ブルンジルワンダケニアタンザニア)からは独立が期待されている。南部スーダンは独立後、このコミュニティに入るのでは?」


栗田「ナイル川の水利用問題も影響を受けるだろう」


アブディン「南部の知識人の多くは、エジプトで教育を受けている。独立に際してエジプトがどのような動きをするか」


研究者「周囲に分離独立の波を広げないためには、アフリカの地域統合に、南部スーダンを組み込んでいく必要がある」


アブディン「スーダンCPAは、アフリカ全体にとって大きな問題。他国の反政府組織が、自決権を押していくのではないか。90年代にCPAを実施してきた国々では、反政府勢力は残っていない」

日本にとってのスーダン

共同通信スーダンの、日本にとっての重要性は」


栗本「日本政府は資金やNGOの人員をスーダンに出している。輸入額は1,000億円程度でそれほど大きくない」


外務省の方「日本にとって、スーダンは石油の輸入先として重要。G8や安保理では、スーダンの名前は必ず出される。アフリカで最大の注目を集めているのは間違いない。平和構築には、インフラ整備、灌漑の整備など、地道な援助が不可欠だ。日本は、2008年度、アフリカの国の中で最大金額のODAスーダンに対しておこなった」

国際社会の求める"安定"

石井「もっとも大切なのは、CPAの意義だ。CPAは、長く続いた南北問題に、解決の道筋を与えた。この成果は国際社会の支援のもとで達成されたもので、日本も寄与している。スーダンの安定化は東アフリカ全体の安定化にとって大きい要因。
平和の定着、ピースビルディングオペレーションとして、スーダンは最大のプロジェクトである。しかし、その後のビジョンがないのは問題だ」


栗田「CPAで定められた解決は、スーダン国民にとって良いことだったのか?スーダン国民自身は疑問に思っている。統一を守るかたちでの和平が良かったのではないか。また、CPAのタイムテーブルは正しかったのか?」


石井「でもCPAがなければ、内戦が続いていたのでは?」


アブディン「2002年、イラク戦争の後、次はアフガンかスーダンか、というタイミングで、もっと民主化で押せば、バシルは譲歩したのではないか。国際社会は、そこに熱心ではなかった」


栗本「CPAは矛盾を抱えているが、その文章自体は立派なものだ。CPAが悪いのではなく、そこに書かれたとおりに実行されていないのが問題だ。どうやったらそれが実行できるのかを考えなくてはならない」


岡崎「国際社会にとって、CPAとは何なのか。スーダンに安定して欲しいというのは、スーダン国外の、国際社会の意思だ。CPAが書かれている通りに実行されていないのに、それを正す圧力を、国際社会はかけない。内部にとっての安定と、外部にとっての安定は、違うのではないか」


栗本「EUは、選挙に対して批判的だったが、アメリカは南部の独立を後押ししている。独立後、アメリカはハルツームをどう料理するのか。アメリ国務省の内部にも、二つの意見がある。今回の選挙にアメリカ・スーダン特使のグレイションがお墨付きを与えたが、国務省から別な意見が出てきた」


栗田「国際社会は外から安定を求めている。しかし、安定のためとはいえ、民主化をおろそかにしていいのか?それは安定の押し付けではないか」


石井「CPAによってスーダンは安定化したが、その後が考えられていないことに問題がある。東アフリカの不安定は、日本にとってもマイナスだ」


栗田「外からの安定だけでは、国は安定しないのでは?日本が介入しようとすると、北部が反発するのはわかるが、南部からも反発が出ている」


岡崎「スーダンには、今まで外部に国をずたずたにされてきたという歴史がある」


栗本「CPAによって、南北内戦が終結したことは事実。それにより、多数の国民が平和を享受している。不完全なかたちで闘争が中断したという見方もできるが、ではそのまま続いた方がよかったのか?」


アブディン「北部はダルフールを抱えて安定していない。紛争の舞台は移ってゆく。ダルフールが自決権を訴えた場合、国際社会はどう対応するのか」


岡崎「アメリカは世界の安定を本当に求めているのか?スーダンが安定化しなくても、無視するのではないか?そして民主化は、本当にアフリカに必要なのか?」

ICCによるバシルへの逮捕状について

研究者「ICCのバシルへの逮捕状について、AUが発効には反対した。それはスーダン選挙への影響を懸念してのことだ。選挙によらず、力づくでバシルが政府に居座るのでは、という懸念だ。発効後の状況を見ると、結果的には失敗だったと思う。バシル大統領は、権力を失ったら逮捕されるという状況に追い込まれた。このため、今回の選挙では不正を駆使して、権力の座に居座った。先進諸国も、逮捕しようという動きはない。
南部の独立と、バシル体制の温存。ICCによる逮捕状は、国際社会がそれを追認する後押しとなってしまった」


アブディン「ICCの逮捕状には、大統領選へのバシルの出馬を阻止する狙いもあった。副大統領が立てば、現状よりは改善するからだ。しかし、結果的に、バシルの任期を延ばすことになった」


石井「ICCに関しては、正義と和平の問題。バシルが政権にいる限り、スーダンはまともな国として扱われないだろう」


栗田「バシルの政治生命は、ICCの逮捕状が発効された時点で終わった。スーダン民主化され、バシルは逮捕されることになるだろう」

そのほか

石井「栗田氏の文章*3を読んだが、バシルの功罪の、功の部分も見て欲しい。バシルはCPAを締結し、石油の開発を進め、富の分配をおこなった。アラブ世界では、選挙による政権交代はない」


アブディン「他のアラブの国と比べて、スーダンを見るべきではない」


質問「栗田さんの文章*4の最後の文(自衛隊スーダンへの派兵について)は、日本人として心しておくべきことだと思った」


栗田「選挙監視団の目的は、選挙が自由で民主的に行われているかを監視することだったが、それ以外に、先進国が途上国の占拠を見下すという目線もある。しかし日本は、現地で歓迎された。石井大使の団長所感でも触れられている。これは9条のイメージのおかげではないか?スーダンでは国際社会=アメリカ・PKOというイメージがあるが、日本はそれとは違うやり方ができるのではないか」

*1:今後も発言の形式での記述が続くが、すべて実際にしゃべった文言ではない。私が内容をまとめて書いている。

*2:SPLMが主催したジュバでの会議で、北部の野党勢力も多数参加した。ダルフールに対する対応の変更や、集会・出版の自由などを求めた

*3:スーダン最後の選挙 「国際社会」が強いる独裁と分裂」『世界』2010年7月号

*4:前出