格差と広告:「ウェブ進化論」を読んで解消されなかった二つの疑問(1/2)

ある二つの疑問を持って、梅田望夫著『ウェブ進化論』を読んだ。その疑問とは以下である。

  • 「ネットインフラの普及していない人たちのことはどう考えているのか」
  • 「収入源が広告という事についてはどう考えているのか」

前者については、「集団の知恵(THE WISDOM OF CROWDS)」が発揮される前提として、多様な人々の参加が条件になっているが、Googleを語るときにインターネット環境に繋がらない世界人口の85.7%の人々について、どのように捉えているのか。後者については、Googleはてなを含めた、新しい価値を持ったwebサービスが、その価値そのものではなく、広告としての価値からしかお金を稼げていないということについて、どのように考えているのか。この辺りのことが気になっていて、この本を読んだ。


結局疑問は解けなかったものの、問題に対する理解は深まったので、それについて書く。長くなったので2回に分けて、今回は格差についてのところを書く。

「次の10年」を変える「力の芽」を考えるときに私が一つの拠り所としているのは、その「力の芽」が「持てるもの」によって忌避される類いのものである一方、「持たざるもの」にとってはもの凄い武器であるときにその「力の芽」は着実に育つ、という判断基準である。
同書:P.P.30-31

これを読んだそばから、僕の意識はアフリカへ飛ぶ。「持たざるもの」と聞いて僕が思い浮かべるのは、梅田さんの言う否エスタブリッシュメントではなく、コンピュータはおろか食べ物もろくに食べられない人たちのことであり、そのような人たちがまだこの世界には山ほどいる。

不完全な「集団の知恵」:ネット上の民意に従うのは危険

「みんなの意見」は案外正しい』の孫引きになるが、「集団の知恵」とは、以下のようなことを指す。

「個」が十分に分散していて、しかも多様性と独立性が担保されているとき、そんな無数の「個」の意見を集約するシステムがうまくできれば、集団としての判断価値のほうが正しくなる可能性がある。
同書:P.P.205-206

梅田さんは「ネット空間上の「個」とは、分散、多様性、独立性を巡るスロウィッキーの仮説そのもの」(同書:P.206)だとして、インターネット上に形成される集団の知恵を肯定的に捉えている。それは以下の記述からも伺える。

世界中のウェブサイトに「何が書かれているのか」ということを「全体を俯瞰した視点」で理解することができる。そしてさらに、世界中の不特定多数無限大の人々が「いま何を知りたがっているのか」ということも「全体を俯瞰した視点」で理解できる訳だ。
同書:P.36

リンクという民意だけに依存して知を再編成するから「民主主義」。
同書:P.56

これを受けて僕はセヴァン・スズキのスピーチを思い出す。

「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」
家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。
セヴァン・スズキ 国連会議(環境サミット)でのスピーチ(1992.6)

このような、世界中の民意としてはごく当たり前に思えることが、インターネットで形成される民意には見られない。
インターネット上の民意は、グローバリゼーションによって名実共に隣人となりつつあるアフリカ人がポコポコ飢え死にしている現状には、それほどの関心を払わない。世界中で起きている人道的危機についても、取り立てて対処しようとしない。
例えばホワイトバンドプロジェクトは、貧困を救うというその目的は二の次でつぶされた。アフリカの貧困よりサニーサイドアップの商法の方が問題とされ、貧困解消ではなく、商法の問題を指摘することにリソースが費やされた。
これが現在のインターネット上の民意である。

なぜこのような民意が形成されるのか。「集団の知恵」が形成されるために必要な「個」の十分な分散がなされていないためではないかと推測する。先にも軽く触れたが、インターネットを利用できる人口は、地球人口全体に比べてまだまだ小さい。
以下に2004年末の状況を引用する。

22004年末における世界のインターネットユーザー数は、全地球人口の約14.3%。(中略)アフリカのインターネットユーザー数は、アフリカ全人口の3.1%に過ぎないとされ、北米の人口の 62.6%がインターネットを利用している現状とは、非常に大きな格差が存在していることも紹介された。
http://pcweb.mycom.co.jp/news/2005/11/28/008.html

こうした中で生まれる「集団の知恵」というのは、結局「持てるもの」の論理となり、彼らに対して最適なものにはなるが、「持たざるもの」を含めた全体に対しては最適とならないのではないか。

Google経済圏の限界:格差の是正はごく一部でなされる

Googleには「世界をよりよき場所にする」という目標があるという。

2004年8月の株式公開に際してグーグルが米証券取引委員会(SEC)に提出した書類の冒頭には、創業者から将来の株主に宛てた手紙が添付されている。その中に「MAKING THE WORLD A BETTER PLACE」(世界をより良い場所にすること)という項があり、経済的格差是正への自らの貢献可能性に言及する。
同書:P.76

それはGoogle AdSenseによってなされると梅田さんは書いている。

リアル世界には地域経済格差が存在する。しかしアドセンス世界には地域経済格差がない。アドセンスの原資は、主に先進国企業が支払う広告費でできている。つまりドルやユーロでアドセンス経済圏はできあがっている。よって、生活コストの安い英語圏発展途上国の人々にとっては、生活コストに比して驚くほどの収入がアドセンスによってもたらされる。(中略)これは発展途上国の人にとっては天恵とも言うべき仕組み。グーグルはこのことをもって「世界をよりよき場所にする」とか「経済格差の是正」を目標にすると標榜するわけだ。
同書:P.160

しかし、この是正も、全地球人口の約14.3%の中でしかなされない。しかも格差の是正を切実に願う国々では、その恩恵にあずかることのできる人々の割合も、全人口のごくごく一部となってしまう。以下のような指摘もある。

サイトを自力で設営・運営できる層ならそれほど低収入ではありえないから、中国の沿岸部やインドのバンガロールあたりでは、梅田氏が言うほど格差是正効果はないのではないか。
ウェブ進化論3――「離魂」のロングテール:阿部重夫主筆ブログ:FACTA online

Google AdSenseによる格差の是正についても、集団の知恵と同様、個の分散が十分でなければその効果は期待できない。そして分散を行うためには、格差の是正が必要なのである。

対処:インフラの整備と知恵の補正が必要だ

何よりも必要なのは、インフラの整備である。全世界にITインフラが整備されれば、個の偏りもなくなり、格差の是正効果も正しく機能する。
国連では2015年までに世界の人口の50%以上がデジタル情報にアクセスできるという目標を設定しており、これをユニバーサルアクセスという。(参照)
目標の年までもう10年を切ったが、取り組みは着々と進められており、それは100ドルPCやセルラーPC読み書きできない人向けの対応だったりするのだが、一方でそんなものの前にまずは食べ物を欲する人が世界中にあふれており、目標達成の難しさが身にしみて感じられる。

そんな状況でGoogleに期待したいのが、知恵の補正システムである。
まだ『「みんなの意見」は案外正しい』を読んでいないので、勉強不足も甚だしい状態での考えだが、しかし僕は集団の知恵というのは民主主義の最善のところではないかと考えている。個に偏りのある現在、集団の知恵を形成するシステムにはそれを補正する能力が求められる。これをGoogleには実現してもらいたい。
その支援を受けてインフラが整備され、個の分散が適切な状態になれば、Googleが抽出する集団の知恵も、より適切なものとなる。