ガザは今どうなってるの?

イスラエルの、パレスチナガザ地区への大規模軍事侵攻。昨年末から3週間行われたこの攻撃は広く報道され、世界からも大きな反対の声が上がった。
で。今どうなっているのか。
イスラエルによる封鎖で、ガザ地区からの報道は制限され、なかなか情報は入らない。そんな中、ガザで活動する2人の方が来日し、現地の様子を語ってくれた。そのイベントの内容をまとめる。
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ガザ概況

JVCの藤屋さんから、ガザの概況について解説。JVCは、このイベントを主催する国際協力NGOで、パレスチナでは今回ガザから招聘した2人と共に活動している。

1948 年の第一次中東戦争前後に、パレスチナ人の四分の三は虐殺、追放、あるいは一時的避難を強いられ、戦争が終わっても家や村に戻ることが許されず、その多くが今でも難民キャンプに暮らしています。混乱の中で家族・親族も各地・各国にバラバラになり、パレスチナの社会は完全に分断されました。この悲惨な出来事をパレスチナ人はナクバ(大惨事)と呼びます。
http://www.ngo-jvc.net/php/jvcphp_epdisp.php?ThreadName=p01&ArticleNo=282

  • 08年12月〜09年1月のイスラエルの軍事侵攻について
    • 死者は1,383人
    • 2万人が未だに避難生活を強いられている。
    • 封鎖により建材が入らず、建物の復旧が進んでいない。
  • 封鎖による制限
    • 物資の制限
    • 人(医者含む)の移動の制限
    • 燃料の制限
  • 社会状況
    • 失業率 49.1%
    • 貧困率 51.8%
    • 食糧難 75%


ガザの概況をまとめたUNOCHAのレポートを、JVCが翻訳していた。上記よりもうちょっと詳しい概観がわかる。

ガザの封鎖がもたらした人道危機とはどのようなものなのか。それを詳しく説明するレポートを、UNOCHAが8月に発表しました。その英文30ページのレポートをJVC和文4ページにまとめました。
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ガザから来た2人、ガザにいる1人

講演をする人がどんな人かを紹介するには、JVCの活動を説明するのが手っ取り早い。
JVCは、ガザ地区において、幼稚園での牛乳、栄養強化ビスケットの配布により、子どもたちの栄養改善を図っている。また、昨年末の軍事侵攻に際して、緊急医療セットを配布。また、子どもたちの心のケアのため、ぬいぐるみやボールの提供を行った。
本日1人目のゲストであるモナ・アブラマダンさんは、ガザ市民であり、アメリカのNGOアメリカ近東難民支援会(ANERA)」に所属し、牛乳とビスケットの配布事業をおこなっている。ちゃんと話を聞いていなかったが、多分JVCと共同でやってるんじゃなかろうか。
2人目のゲスト、ムハンマド・スカフィさんは、イスラエルに居を構えるNGOパレスチナ医療救援協会(PMRS)」の人。PMRSとJVCは、1995年より共同で保険医療活動をしている。緊急医療セットの配布は、このPMRSを通して行われた。
モナさん ムハンマドさん ハティーブさん
左から、モナさん、ムハンマドさん、ハティーブさん。

本日出演予定だった、イテダル・ハティーブさんは、ガザから出られず出演できないことが告げられた。ハティーブさんは、ガザのNGO「人間の大地」で、栄養失調児が通う栄養センターを運営しており、栄養失調児に対する治療用栄養食の提供を行っている。JVCはその活動を支援している。侵攻後、ぬいぐるみ配布の準備を徹夜でしてくれたのが、ハティーブさんなのだそうだ。
ティーブさんとは会場から電話をつなぎ、メッセージを貰った。

ガザは150万人の刑務所になっている。彼らへの支援を感謝したい。
子どもたちには、栄養、そして心のサポートが必要だ。彼らには健やかに生きる権利がある。

現在のガザの暮らし

イスラエルの封鎖の中、全てが厳しい生活を強いられている」
ガザ市民であるモナさんが、ガザでの生活をつぶさに語る。
学校、医療、インフラ…ガザのあらゆる制度、システムが破壊され、動いていない。失業、貧困率も高い。


「毎日全ての瞬間、恐怖にさらされる」
昨年末の軍事侵攻を、モナさんはそう語った。
モナさんの家から撮られた、ガザの写真が紹介された。都会的で驚いた。僕のイメージでは、ガザは土煙る廃墟のようなところだった。

この都市が、

攻撃され、

廃墟になる。僕が思ってたガザはこの廃墟のイメージ。その前2つは想像できなかった。
写真はこちらのサイトから。
File:Gaza City.JPG - Wikimedia Commons
http://imeu.net/news/article0015328.shtml



家を破壊された人々、彼らの住まいはテントになった。国連の仮設テントで暮らし、きれいな水、食料などの、最低限の物資の支給を受けている。仮設テントに入らず、自分の家の瓦礫の上にテントを建てる人も少なくない。彼らは、家の再建を助けてくれる人が現れるのを待っている。
燃料も不足しており、当初は木で火を焚いて生活していたが、森も破壊されそれもできなくなった。
ガザには美しい海がある。しかし下水処理施設が破壊され、その海には汚水が垂れ流されている。

子どもの栄養改善−モナさんの活動

モナさんは、幼稚園で、栄養ビスケットと鉄分強化牛乳を配布している。
IMG_1005.JPG
配布しているビスケットと牛乳。


ガザの人々の食生活は、パンと紅茶だけと言う場合が多い。肉や野菜が食卓に並ぶことはめったにない。この状況で、ガザの子どもが食べられる栄養価の高い食べ物は、モナさんが配っているこれだけだ。
彼女の活動により、子どもの慢性栄養失調率は6.7%から5.6%に減り、貧血も39.5%から19.6%に半減した。*1


彼女はまた、緊急時の行動についての研修、不発弾に対処するための研修も行っている。今回の侵攻で使われた兵器のうち、約3割が不発弾として残っている。


モナさんは問う。
「ガザの子どもは無実です。しかし、父、母、教科書を失ってしまった。なぜ?」
モナさんには2人の姪がおり、彼女は2人をとても大切にしている。そして、自身の活動の対象者である、2万5千人のガザの子ども達も、2人の姪と同じように大切なのだ。

パレスチナの医療状況

パレスチナで活動する医療系NGOにお勤めの、ムハンマドさんからの報告。


昨年末の侵攻で、イスラエル白リン弾などの、国際法で禁止されている兵器を使用した。
「この次のスライドからは、目を背けたくなるような写真が続きます」
そう前置きして映されたのは、腫れ上がり、赤くただれた足。足の指の皮膚が互いにくっついているように見える。白リン弾によって、重度の火傷を負った患者だ。続いて顔中に重度の火傷を負った子どもの写真。ムハンマドさんは問う「彼らはイスラエルにとって何の脅威になるのだ?」3枚目の写真は、手足を切断された人々。彼らの手足は火傷を負い、その対処として切断された。十分な医療設備のある先進国であれば、そのまま治療できる火傷もあるだろうが、ガザでは切断で対処するしか方法がない。こうして手や足を切断された人は、ガザでは400人を数える。彼らはそのハンディを、一生背負っていかねばならない。


PMRSは、イスラエルの侵攻開始直後、2つのバッグを持って被災地を回り、家々を訪問した。大きいほうのバッグには、PMRSが医療活動に使用する道具や医薬品が入っている。小さいバッグは、JVCから支給された、各家庭に配布する医療キットだ。
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医療キット。


PMRSではガザのボランティアが活躍し、侵攻前から活動も行っていた。しかしボランティアは侵攻を受けるガザ市民でもあり、この侵攻で12名のボランティアが死亡した。中の一人は、救急車で活動中に攻撃を受け死んだ。


「ここにはもともと10〜11の家があった」ムハンマドさんはそういうが、瓦礫の山を写した写真には、その面影もない。
ガザで家を失った人は2万5千人。PMRSは彼らの元も訪れ、医療活動を行っている。母親に薬の説明をし、子どもを問診する。子ども達は、あらゆる体の痛みを訴えている。


傷ついたガザ市民は、ガザを出る許可がなく、十分な医療にアクセスできない。2007年6月以降、358人が、ガザを出るための許可が得られずに亡くなった。そして今でも、それ以上の人々が許可を待っている。
国際人道法には、戦時下、占領下でも医療へのアクセスを確保する義務が書かれている。しかしイスラエルは、その義務を果たさない。そしてこの条約には、日本政府も署名をしている。

子どもが負ったトラウマ

二人の話に共通して出てくるのが、トラウマを抱えた子どものことだ。


子どもは栄養不足のみならず、心の傷も負ってしまった。軍事侵攻後、内向的になったり、他の子と活動ができなくなってしまった子どもが増えた。
ガザは人口密度が高い。子どもの遊べる運動場などはなく、もっぱら家が遊び場になっている。その遊び場が、大切なおもちゃ、勉強道具と共に失われた。幼稚園も破壊された。半壊状態の幼稚園は、壊れていないほうのもう半分で運営を再開した。扉の先には瓦礫が広がっている。
アブリムという名の子どもの写真が写される。
モナ「アブリムは、父が頭に銃を突きつけられる光景を目撃しました。それ以来、彼は母親以外と話ができなくなりました。幼稚園にも行っていますが、そこで話すことはありません」
おもちゃを配ってケアをしているが、回復は見られない。


ムハンマドさんは、侵攻直後、エジプト側からガザへ入り、そこで一人の子供と出会った。彼は、じっとムハンマドさんを見つめた。「あなたは何をしてくれるの?」「僕には薬は必要ない。だけど、家を取り戻したいんだ」そう訴えているように思えた。彼は一言も口を開かなかった。
靴を失い、多くの子どもの踵(かかと)が傷ついている。

不自由な中、ガザ市民のパワー

ムハンマドさんは、日本の印象を「どこに行ってもケンカもなく、移動や夜間の外出も自由な、強い国だ」と答えた。
そして日本では兵士を見ない。「警察は人々の生活の安全を守るため。パレスチナの兵士は、移動を制限したり、いきなり家に来て検査をするためにいる」
家族の話をしたモナさんは、「母や娘と共に、海外へ旅行に行きたい」とつぶやく。「日本人が自由に行動しているのに、なぜ自分達はできなのだ、と思ってしまう」


「イテダルさんが来られないことは、非常に腹立たしい。この現代において、来たくても来られないという現実があること、どう思います?」そう問いかけたのは、女優の渡辺えりさん。イベントの後半はトークセッションとなり、えりさんも参加。彼女はピースリーディングをおこなううち、パレスチナに深く思いを寄せるようになった。えりさんは今回のことで外務省に問合せ、あまつさえ自分が迎えに行くと凄んだが、外務省には拒まれたのだという。


アメリカのNGOに勤められているモナさんも、海外へ出るのは3年ぶり。それも所属NGOが約40日に渡って交渉した結果、10/1に運よく出られたという状況。もしそのタイミングを逃していたら、彼女はこの場にいなかっただろうと言う。
「特別な理由を持たない一般のガザ市民は、外に出られません。この状態が、もう20年以上続いているのです」
モナさんは、この状況を集団懲罰的と呼ぶ。それは「なぜこんな状況に置かれているのか」そういう混乱を、ガザ市民に与える。


ムハンマドさんは、いくつかのIDカードを出して見せた。彼はエルサレム出身なので、エルサレムの居住権、イスラエルから国外へ行くためのトラベルドキュメント、そしてヨルダン国籍のパスポート。そこにパレスチナのドキュメントはない。彼がパレスチナに入るためにも、特別な許可書が必要になる。
「私のパスポートには"6"という数字が書かれている」
これは人物の注意ランクを表す数字で、6は要注意人物、出入国に当たって厳格なボディチェックが行われる。


「サポートを受け続けるのはよくない」こんな厳しい状況でも、ムハンマドさんは毅然として語る。サポートは、裏を返せばガザ市民の自信喪失にも繋がりかねない。フードパッケージは必要だが、それは一時的な解決でしかない。自分達で生活を築くには、自由が必要だ。
ムハンマドさんは、日本政府がイスラエルに対して封鎖を解除するよう働きかけて欲しいと訴えた。「自由になれば、いろいろなことができるようになる。彼らも自信を取り戻せる」
モナさんの思いも同じだ。パレスチナの人々は十分教育を受けており、才能もある。日本のヒロシマナガサキの苦難については学んでいるが、日本はそこから立ち上がった。「自由があれば、ガザ市民は国づくりができると信じている」「しかし、国造りをするチャンスが、私達にはない」


パレスチナ市民による国づくり。その萌芽は、すでに姿を見せている。封鎖の中、建物を直す資材がないという話が出たが、彼らはただ手をこまねいているわけではない。

http://www.ngo-jvc.net/php/jvcphp_epdisp.php?ThreadName=p01&ArticleNo=383
この家は、昨年末の侵攻後に作られたものだ。建材が入らない中、ガザで手に入る材料を使って新たに強度の高いレンガを開発し、鉄骨を使わなくても強度を保てるようレンガを組む。そうして作られたこの家は、機能的にもコスト的にも優秀だ。
これ以上ないほどの制約の中、彼らは自らの手で生活を再建しつつある。

イスラエルパレスチナの交流

会場からの質問で、この話題が上がった。
ムハンマドさんのPMRSは、イスラエル内の医療系NGOとよい関係にある。彼らとは、パレスチナヨルダン川西岸地域で共に活動をしていた。「私はイスラエルの人を尊敬しているし、共に生きる準備はできている。私達は、その日が来るのを待っている」しかし、イスラエル政府がその日を遅らせている。

ガザの演劇

この項、えりさんが大変こだわって聞いておられた。彼女は『沈黙を破る』というドキュメンタリー映画で、壊れた劇場を直すシーンがあり、それが心に引っかかっていたようだ。
ガザには劇団といったものはない。いくつかの小規模なグループがあるが、演劇だけで生計は立てられないのだそうだ。

ガザのトンネル

そういえば、この話題は出なかった。

ガザ地域にはエジプトに通じるトンネルがある。かなりあるようだ。
ライフラインでもある。が、先の引用にもあるように対イスラエルの武器の流入口でもある。
ガザのトンネル: 極東ブログ

一般市民がどれだけ闇市場に依存しているのか。そのあたりも聞きたかったな。

日本人がガザに関わるということ。

「日本は第2の故郷と思っている」ムハンマドさんはそんなふうに言ってくれる。JVCのスタッフは家族同然で、以前も我が家に来てくれたし、今回も温かいおもてなしを受けた。帰って家族に話したいと思う。
スライドには、2日前に送られてきたという1歳の娘さんの写真が映る。「"Smile from Gaza. Special smile." 私達からのほほえみを受け取ってほしい。あなたたちのほほえみを、ガザに送ってほしい。」


JVC代表の谷山さんは挨拶で、ガザの厳しい環境の中、優しい心を持ち、たくましく生きる彼らに尊敬の念を示した。「そんな彼らに関われることに、私は喜びを感じる」。
しかし今現在、世界はガザに対して、何もできないでいる。私達ができる活動は、大きく3つある。

  • 人道的な支援。
  • 日本、そして世界へ向けて、メッセージを発信する事。
  • 封鎖を止めさせ、ガザの人たちが生活を自らの手に取り戻せるよう働きかけること。

怒りが絶望に変わらぬよう、地に足をつけた活動をしていくこと。「ガザにほほえみを。ほほえみ続けて。」


司会を務めたTOKYO FMChigusaさんは、ボランティアでこの役を引き受けてくださったのだとか。
募金という方法もある、彼らのサポートを続けること。今日私達の抱いた思いを、どれだけアクションに変えられるか。一つ一つのアクションの積み重ねが、パレスチナの自由につながる。

*1:この辺、調査範囲とかは聞いてない。