FASID タイ研修 11/24(月) 朝市見学、市場委員会とセッション、午後からノンウェンコート村の見学、歓迎会
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FASIDの研修でタイに行ってきた。目次。 - フランシーヌの場合は
朝市見学
朝5時頃起きて、コンケンから一時間くらいのところ、ポン市の朝市を見学。
この市場は、ポン群のいくつかの農村から来ている人たちが開いていて、有機野菜なんかを売っている。村と町をつなぐ役割を果たしている。
市場で売るには市場委員会のメンバーになる必要がある。メンバーになるには村の中でグループを作らなきゃならない。
朝ご飯を食べてから、市場委員会の方にお話を聞く。
朝ご飯のお店の方々。ヌードルを作ってもらう。
朝ご飯のお店の近くにいた子供。
チュアムさんの話。
市場委員会副委員長のチュアムさんからお話を聞く。
朝市はJVCのアイディアではじめた。
まず自分の食べる分を有機に切り替えた。そして村の市場を作ってそこで売った。
売り子は村のお母さんたち。初めは恥ずかしがったが徐々に馴れてきた。
チュアムさんはJVCのアイディアといっているけど、JVCの壽賀さんからは、村の人が始めた市場をJVCが支援したという風に聞いた。村の人がJVCの企画で日本の農家を訪れた際に、農家が直接消費者に野菜を売っているのを見て、それがきっかけになったと。
そうして村の市場が軌道に乗って、他の村でもまねして始めた。そんなところで、この日見学した町と村をつなぐ朝市をはじめた。
市場のルールはみんなで決めたからみんな実践している。
JVCの支援はもう終わっているが、自分たちだけで市場を運営できている。
カンチャイさんはJVCを離れたが、個人として市場に関わってくれている。
このあたりに市場はたくさんあるが、これだけ人が集まるのはここだけ。
ルールの大切さは、中田さんのファシリテーター養成講座でも言われていた。PJとか組織運営とかがうまくいかないと相談されたりするとき、中田さんは定款とかルールとか書かれたものについて尋ねる。うまくいっていないところは、たいてい書かれたものの中身が知られていない。読んでみて、いいことが書いてあって、でも実践できていない。じゃあその通りにやってみようとなれば、たいていうまく回り始めるんだとか。
ということで、ルールが決まっていて、みんな守っているというのは運営の大切なところなんだけど、市場委員会はその面でルール作るところから成功してる。
市場委員会の人たちにインタビュー。
英語インタビューだったのでよく理解できていないけど、委員会の方々のプロフィールを聞いた。皆さんお子さんは高学歴でいらっしゃった。そして村に戻ってきている人はいなかった。
子供に村に戻ってきて欲しいですか?という質問には、みなうんうんとうなずいていた。
食品加工工場で働いている息子さんをお持ちの方は、自分の作った野菜を息子さんに加工してもらって売りたいとおっしゃっていた。
大変実感のこもった返答にぐっときた。
ノンウェンコート村であるものさがし。
あるもの探しとは、外部の人と地元を周って、地元にある資源を再発見し、地元の活性化のヒントにしようという試み。国内での研修でも、長崎県のオジカ町で、あるもの探しからスタートした地域活性化をやったサトウさんのお話を聞いた。
今回はそれをノンウェンコート村でやってみる。
研修の班ごとに村の人がついて、トラクターに乗せられて村の中を案内してもらう。外部の人の僕らは、外部の人の目で興味を持ったもの、面白いなと感じたものについてどんどん質問していく。村の人にとってはあたりまえの風景でも、外部の人からみると新鮮なものがたくさんある。案内する村の人には、その外部者の視点を通して、眠っている資源を再発見してもらう。
僕らの班についてくれたのはソムサマイさん。本にも借金に苦しむ農民として渋い顔を載せている。
トラクターに乗って田んぼの方に行く。
雨水を飲料水として貯める水瓶とか、ゴミを集めるコンポストとかが目につく。
「こんにちはー」
米の収穫中の方に声をかけてみる。
「やってごらんよ」
やってみることに。
見よう見まねでやってみてダメだしされるも、何が悪いかもわからないし、おばちゃんみたいにサクサクもできない。収穫ひとつとって、も一朝一夕でできるもんじゃない。
「よーし、牛を見せてやる」
水牛。
水牛は、もともとは農耕用だったが、今はもう使われていない。水牛好きのおじさんが、村に水牛の文化を残したいと、今も飼い続けている。
「じゃあ今度は俺の牛だ」
ソムサマイさんの牛。
自慢したかったみたい。
そんな感じで田んぼをまわったあとは、村の居住地域の方へ。
お寺。
お坊さんに声かけたけど無視されたと思ったらトイレに行くところだった。
寺の近くにある貯水タンク。タンクは5個あり、雨季には一杯になる。
お寺の前の貯水池は、今はあまり使われていない。
ノンウェンコート村とノンウェンソークプラ村は、もともと一つの村だったのだけど、行政区分の都合でふたつに分けられた。この池も、もともとは水道として使われていたのだけれど、村が分割されて以降、使い道で揉めて未だに有効活用はされていないんだとか。お上の都合で分断したら良くないよねという例だ。
スラポン先生のウチに戻ってきて水浴びさせてもらう。
水浴び場。
右手が体流すための水。これを手桶でざばっと浴びる。結構気持ちいいけど寒くなると辛いらしい。ソムサマイさんは入るのをいやがって奥さんに怒られていた。左はトイレとお尻を洗う水。
ホームステイするソムサマイさん家に行く。ここは今晩の宴会場にもなるので、手伝ったり辺りの人達の写真を撮ったりして過ごす。
写真撮ってたら俺を撮れと寄ってきたおっさん。
ホームステイ先のお母さん。
ごはん炊く様子。
バカ犬。
近所の子供。
今見たら物騒なTシャツを着てる。
歓迎会
村の方々に歓迎会を催していただく。
儀式の様子。
中央のおごそかなものから糸を伸ばして、長老的な方をはじめ皆で輪になって糸を持ちつつ合掌する。糸はおばあちゃんが手でもにょもにょやっていたものだ。
長老的な方。
そのまま長老的な方がノートを見たりまわりになんだっけみたいに聞きながらお経を唱える。たまに礼をするのでそれに合わせて僕らも礼をする。
お経のノートは2ページあった。長かったけどすでに焼酎を少し飲まされてゴキゲンだったので楽しかったです。
その後、分割した糸を村の人たちが持ち、僕らの手首にうにゃうにゃ言いながら巻き付けてくる。
英語のできるスラポン先生は"Happy, Enjoy."と言ってくれて、他の方もそんなことを言ってくれていたのかと思うと涙が出そうになった。
お返しにというか、日本人側からも何か芸をということで、すでに出来上がってたHさんがボリュームたっぷりの挨拶を枕に詩吟を披露して、どうなってしまうのと思っていたらそのままアブラハムには7人の子に雪崩れ込んで大変盛り上がり、そのあとは自由な宴会になった。
自慢のカラオケセットで歌うソムサマイさん。
次の日、村落開発委員をやめたら歌手になったらいいんじゃないのとからかい半分で言ったらご満悦だった。
締めもなく解散してすぐ二次会に呼ばれ、隣のおばちゃんに迫られる。森本さんの通訳を通して、
「結婚してんの?」「子供はいるの?」「子供の作り方も知らないんじゃないの」「教えてあげるわよ」
最短距離できた。
イサーンに赤羽の夜がくる。
おばちゃんは34で、ダンナがイスラエルに出稼ぎに行ってもう4年になる。あと1日年したら帰ってくる。
翌朝は「アイラービュー!」と言いながら元気に収穫に向かっていった。