FASID タイ研修 11/23(日) バンコクからコンケンへ飛んで座学。生き方としてのNGI。
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FASIDの研修でタイに行ってきた。目次。 - フランシーヌの場合は
朝はやめに起きて近所の写真を撮る。
朝ご飯はゲストハウスで。だらだら出てきた。
ドンムアン空港からコンケンに飛ぶ。タイでは今年の9月に首相官邸がPADに占拠されていて、ドンムアン空港は臨時首相官邸になっていたんだけど、そんなことはまったく知らずにアイス食べたりしてた。
コンケンでは現地の案内をして下さる森本さんが、ドライバーさん2人とお出迎え。
森本さんは元JVCで、現在はタイの方とご結婚して農家の嫁のかたわら、JVCのスタディーツアーを手伝っていたりする。
あと、タイではタクシーの他に、車とドライバーを時間拘束で借りるというのがメジャーで、今回はバン2台を研修期間中借りた。ドライバーさんともずっと一緒。
できるほうのドライバーさん。
もうひとりは道間違えたりしてた。
研修会場の保険省ヘルスセンター。
農村ホームステイ以外の日はここに泊まる。男7人1部屋。ちゃんとベッドとバスタオルがあった。
お昼は研修会場の向かいの食堂で食べた。初イサーン料理。
奥のが青パパイヤのサラダで、ソムタム・ラオというイサーンの代表的な料理。ちょうからい。イサーンではもち米が主食で、手でお団子みたいにして食べる。これが美味しかった。ソムタムのたれをつけたりして。
午後からは座学。
壽賀さんの話。
壽賀さんはJVCの方で、この研修のコースディレクターを努めている。
国際協力NGOがプロジェクトをやって、サービス・プロバイダーとしているっていうのはおかしいんじゃないかという意識を持った。
ジンバブエに2年、個人として暮らした。そこで、寄り合いなどの、ファジーな組織に関心を持った。
その後、極力プロジェクトという言葉を使わないで活動してきた。
こういう意識を持っているのは、日本ではローカリゼーション関係の人。開発のメインストリームではなく、その周辺の人々。
ローカリゼーションってこういうこと?
http://nihonir.exblog.jp/8153409/
FASIDのNGOディプロマ研修2学期のコースタイトルが「NGOと住民主体の開発 -現場で学び、現場に活かす-」で、これまでの研修も、地元の人たちからボトムアップでどんな動きが生まれてきたかというのを見てきたので、その源泉を知った感じ。
研修全編にわたって、「こんな動きがありますよ、あなたはどうしますか?」っていう投げかけがあって、きっとそれは自分で考えて気づいたことじゃないと身にならないっていうことなんだろうなあ。
森本さんの話。
農村での生活を2年続けてる。
農業を知るということにはレベルがある。やってくと理解が深まる。
- やる前:農業の大変さがわからない。
- やってみて:大変さがわかる。
- 続けてみて:それほど大変じゃないことがわかる。
- 生活にして:収支をあわせるのが大変なことがわかる。
「農」はすべてにつながっている。「食」「体」「医」「環境」。
今、一番のミッションは、おじさんの家の農家経営を軌道に乗せること。
農家の方々への尊敬が感じられた。
生きることのベースになっている「農」を大事にすることっていうのは当たり前な気がするんだけど、僕はその当たり前ができてない。毎日毎日なにかしら食べてんのにそれを作っているところと大変な距離を感じるのは、自分の関心がそっちに向いてないからなんだろう。
と、今思い出しつつ申し訳なくなった。
タイの農家は「緑の革命」で換金できる単一作物栽培に切り替えて、そのせいで借金生活におちいる農家が大変多い。
借金返済のために出稼ぎに出る人もおり、農村の生活がうまく回らなくなっている。
その状態から抜けるために有機野菜の栽培と、その販売のための市場が始められた。
このあたりは、明日見学するポン市の朝市の背景の説明。
デーチャーさんの話。
英語でよくわからなかったけど、タイNGOの発展の歴史、あと農家はたくさんの知恵を持っているというはなしを聞いた。
農村の中、スラムの中を歩き、住人と関係を作る。一緒に飲み、一緒に畑を耕し、一緒に料理を作る。そうするとコミュニティのことがわかる。
一緒に働いたり、いろんなことをやって、互いから学ぶ。
っていうお話は、今後いろんな人から聞くことになる。日本での研修では、外部者/内部者の区切りがはっきりしていて、外部者としてどうコミュニティに関わるか、短い時間でどう気づきを与えるかということを学んでいたので、そことのギャップで悶々とする。
タイのNGOはネットワークがすごい。各セクションごとのネットワークがあり、さらにそれを束ねるNGOCODがある。
ネットワークの話は森本さんもしていて、そのためにデモへの動員も1万人規模だったりするらしい。すごい。
NGOのプロジェクトではExit Strategy、どういう風に自分たちが抜けるか、ということを考えるのが大事というのがよく言われている。その辺どう思うか質問が出た。
おなじような問題はどこに出もある。だから、自分たちの活動に終わりはない。
住民の人たちに活動を起こさせるような関わりだから、自分たちが抜けられなくなる、ということはないんだろうなと思う。そして一度できた関係は離れたとしても切れるものではない。プロジェクト単位の活動とは根本的に違うんだろうな。
カンチャイさんの話。
NGI(individual 個人)として村に関わっている方。元々はタイの民主化運動に加わり、森でのゲリラを経て村での活動、スラムでの活動をおこなう。
どんな生活をしていても、資本主義的な生活は切り離せない。
タイは発展したが、農民にリターンはないどころか、自然資源も壊されている。
そうなっている今のシステムを変えるためにどういうことができるのか。それを考えて活動している。
カンチャイさんの活動は、相手のことを理解するところから始める。だから、ひとところに長く身を置く。
スラムには夜通った。けど、住民の人は疲れてて話す気力がなかった。週一回の休みには酒を飲んでいた。
時々スラムに泊まり、時々一緒に仕事に行く。その中で信頼関係を築き、彼らの抱える問題を理解し、一緒に考えた。
そうして、スラムの人たちが自分たちで政府に要求を出すところまで行った。
スラムの人たちは農村から来ていた。農業だけじゃ食べて行けない。
それでカンチャイさんはフィールドを農村に戻す。
農村の問題は、大きく見るとグローバリゼーションだったり、政治の問題だったりする。
でもそんなこと農民の方に言っても実感がない。だから生活レベルにあわせたところから説明している。
村の人たちに村を調査してもらい、村の資源を認識して、村の抱える問題を認識して、それについてディスカッションしてもらう。
長くやっているウチにカンチャイスタイルができあがった。
自身でも農家を営み、食は自分でまかなう。
周りは、NGOとしてお金を持ってきてくれた方がいいという反応もあったが、お金を持ってこなくなったことで自分たちでやらなければという気になってくれた。
ボス役から農民の同僚になれた。
いろんな活動を経験して、行き着いたカンチャイスタイルというのは、カンチャイさんの生き方でもある。
このスタイルは経験の積み重ねの上にしか成り立たない。ああなりたいと思ったら、自分も自分なりのスタイルを築くべく経験を積んでいかないとならない。
このへん、普通の仕事とは全然違うんだけど、普通の仕事みたいに関わる人がいてもいいと思うし、国際協力の仕事はそういう風に関われるようになって欲しいと思う。僕自身はどういう風に関わりたいのか、まだわからないでいる。
座学は以上。夜はお粥屋さんで飲み会。
ご主人。
店内にいたトカゲ。
セブンイレブンの前に屋台が広がってて、結構人が集まってた。
寝る前にヘルスセンターに泊まってるタイ人の医学生?と話す。なんか音楽ないの?とか、同じグループにゲイがいて襲われそうになったとか言ってた。日本語の「オカマ」を覚えて喜んじゃって連呼してた。