スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』

1968年公開のSF映画である。監督はスタンリー・キューブリック

これ以上の紹介が難しい。というのも、わかりやすい筋というものがないためである。その場面は何のシーンなのか、どのような意味があるのか、確信を持って説明できない。映像を見て、前後のつながりを考えて、なんとなく意味をつかむ。しかしつかんだ意味には確信を持てず、また別の意味も見えてくる。


ただ、実際には明確なストーリーがあるそうだ。意味深で謎めいた場面は、すべて論理的に説明できるのだという。詳しくはWikipedia2001年宇宙の旅」を読んでいただきたい。
2001年宇宙の旅 - Wikipedia
あえて説明を省き、難解な印象の映画としてしまったのはなぜか。上記記事から引用する。

過剰な説明が映画からマジックを奪うことを恐れたキューブリックが、インタビューもナレーションもすべて削除してしまったため、何の説明もない映像が映画全編にわたり続くことになったからである。

このように説明が省かれると、鑑賞者は映像から意味を取り出そうとする。耳を傾けさえすれば、映像は雄弁に語りだす。鑑賞者にゆだねられている部分が非常に大きいのだ。鑑賞者によって取り出す意味は違ってきて、理解の仕方も深度もばらばらになる。複数人で見てみたのならその場で恐る恐る自分の解釈を確かめてみるとよい。すでに見た人の解釈を聞いてみるのもいい。その多様性に驚かされるはずだ。


モノリスは何のために存在したのか。HAL9000は故障したのか、反乱したのか。それはなぜか。ボーマン船長の体験はなんだったのか。ポッドのたどり着いた先はどこか。そこでの生活は夢なのか。最後の胎児(スターチャイルドというようだ)は何を意味するのか。どれがイメージカットか、どれが現実の映像か。
すべて明確には説明されていないが、鑑賞者はそれを材料に、自分の頭の中でひとつの物語を組み立てる。それを可能にするのは、映画の提供する素材のクオリティの高さ、すなわち細部まで科学的に検討されて作られた映像、確固たる設定、そして芯の通ったストーリーである。これらの要素があるからこそ、能動的な鑑賞にも堪えうる映画となった。


逆に言うと、この映画を受動的に見てしまうと、退屈でしょうがない。美しい映像と優雅なクラシック音楽が眠りを誘う。実際僕も昔見たときは寝てしまい、月のモノリスのあたりとか、ラストのあたりとかを見逃してしまった。


ちなみに木製に到達したボーマン船長がわけのわからない体験をする場面(スターゲートというらしい)、ここの映像はジョン・ウィットニーの技術が使われている。彼はある一定の規則に従って要素を動かしてアニメーションを作った人である。そういってもわかりずらいので、実際の作品を見ていただきたい。
The Official John Whitney Sr. Site(リンク先のボタン「ARAVESQUE QUICKTIME」から映像を見ることができます。音が鳴ります。)
ウィットニーはこの手法ゆえにCGアニメーションの始祖とも言われている。