トランスジェンダーに対する僕の認識の変化

今回の記事には、僕の鈍感さ、無神経さが存分に出ています。そういうものを読んでイヤな気分になるのがイヤでしたら、読まない方がよいかもしれません。批判する分には、一向に構いません。

最近トランスジェンダー(以下TG)の方と知り合った。その方とのやり取りの中で、自分のTGに対する認識に誤りがある、また曖昧なことが多くあることに気づかされた。それではいけないと思い、虎井まさ衛著『トランスジェンダーの時代―性同一性障害の現在』という本を読んだ。

トランスジェンダーとは何か、用語の解説。

前掲書、P.36より引用する。

生まれた時に備わっていた性器とは反対の性器の形成を望むものをトランスセクシャル(TS)という。また、女装、男装など装うことで外見を異性のものにしたいと望むことをトランスウ゛ェスタイト(TV)といい、広義にはTS、TVを含め、「性役割を異性のものに変えたい」と望むすべてをトランスジェンダー(TG)と呼ぶ。

また、僕の知り合った方から教えていただいた内容を以下に補足する。
・ゲイ(同性愛者)とTGは全くの無関係(僕はここで誤った認識をしていて、TGも同性愛者もまとめてゲイと呼ぶのだと思っていた。)
・脳が女、体が男のTGの場合は、MtF(Male to Female)TGと呼ぶ。逆の場合はFtMTGとなる。
・脳が中性の場合は、MtXもしくはFtXとなる。
性同一性障害
・引用におけるTGの説明は、広義の意味である。狭義のTGは、手術までは望まないが、望みの性で暮らし、ホルモン投与などをする人を指す。
・他、セクシャル・マイノリティとして半陰陽インターセックス)の方たちがいる。

本について

著者の虎井まさ衛さんは、女性から男性への性別適合手術を受けた方で、性同一性障害についての啓発活動で有名な方だそうだ。

この本は、著者がこれまで色々な媒体に寄せた文章をまとめたものである。が、まとめたというよりは、寄せ集めたという方が適切ではないかと思えるようなものだった。色々な媒体に対して発表したものだから、内容に重複が多々あるし、全体としてTGに詳しくない人向けの啓発的な内容が多く伺えるものの、やはり対象読者も定まっていない。何より、各文章で、時に同一文章内でもトーンの差が大きく、主張か分析か日記かわからないものになってしまっている。
TGの医学的な知識、社会的な立場、当事者の声、そのどれとしても中途半端である。しかし、それら全体がうっすらと触れられており、なおかつwebで公開されている個人の日記のように、簡単に読めてしまうものなので、入門書としてはよいかもしれない。

気づかされたこと

TGの方も人間なんだということに気づいた。理解はしていたのだが、この本を読んでようやく実感として得た。
思い返せば、この本を読み始めた時も、TGの類型を無意識に求めていたのだと思う。共通の悩みを持っているんだろうと勝手に思い込み、それは何かを知ろうとしていたのだと思う。
そんな思いを打ち砕くかのように、本の中には、TGの権利を獲得しようと精力的に活動する方(虎井さん含む)、TGであることを隠して一般社会に溶けもうとする方、溶け込んでいる方、TGであることを商売に利用している方等々、様々な立場のTGの方がいることが示された。そしてなにより、著者の虎井さんと、僕の存じているTGの方のギャップが、僕にはとても衝撃的だった。それによって、TGの類型という幻想が崩された。
そしてようやく、TGの人も、そうでない人と同様、個々が全然違う人間で、ある一人の人を知るためには、その人と知り合う他道がないという当たり前の認識にたどり着いた。

まとめ(られない)

安易に類型を求めてはいけないという教訓にしてまとめることは容易だが、僕の実感として、それは違う。上記内容を考えた上でなお、ギャルやギャルオは大抵頭が悪いだろうから関わりたくないと思っている。ギャルもギャルオも人間であり、その個々人のことはその人と知り合わないと何もわからないはず、ということは、頭で考えればわかることなのだ。しかしそれでも、彼らとは関わりたくないと思う。逃げたいとすら思う。全然類型から抜けられていない。
どうしても実感が必要なのだ。TGについてはそれが得られたのでよかったという日記です。

トランスジェンダーの時代―性同一性障害の現在

トランスジェンダーの時代―性同一性障害の現在