現在における結党のあり方と、護憲政党のゴール案

現在において、結党とはどのようにあるべきかということと、それに絡めて護憲政党の活動におけるゴールは何かということを考えた。
結論を言ってしまえば、護憲政党のようにひとつの目的だけを持った結党というのは、現在の状況では最も有効で、しかしそれは目的の達成後は解散するというような流動性を持たなければならない。さらにその流動性を持たせるにあたって、その党の活動のゴールを明確にし、それを確認したら速やかに解党する必要がある。そのゴールとは、護憲政党にあっては恒久的に9条を守る仕組みを作ることで、すなわち憲法改正を定めた96条を改訂することである。96条に、9条は不可侵である旨を記すことこそが護憲政党のゴールなのだ。


これを考えたきっかけはこの記事のコメントにある言葉「プロパガンダ結党」で、その言葉自体はじめて聞いたのでよく意味がつかめなかったが、プロパガンダの意味を考えると護憲政党はそれには当たらないと考える。しかし政党とは、国会議員とは、多種多様な政治を行う責務を担っているのだから、このように護憲というひとつの目的のためだけに結党するのはどうなのだろうという疑問がわいた。

現在における結党のあり方

疑問を持ってすぐ思い出したのが、明治学院大学助教授の原宏之氏のブログの記事*1で、『私物化される世界―誰がわれわれを支配しているのか*2を紹介してこのように述べていた。

これからあり得る闘争の姿は、観念論(イデオロギー闘争)のものではなく、各個人が各人の<生存>を守るための具体的なものにほかならない。<わたしたちの未来を取り戻すこと>といいかえることもできるだろう。ジグレールは、「新たな地球規模の市民社会」を理念として訴える。これは(社会・文化・経済の面を含む)<人権>を確保するための、トランスナショナルな連帯にほかならない。

(中略)

たとえば、トービン税の実現が目的であるならば、このことに特化して運動は組織されるべきであって、全般的な抵抗対象を有する凝固した集団となるべきではない。なぜならば、「新たな地球規模の市民社会」は、ローカルな多様性を守るためであり、わたしたちはすでにかつての社会的紐帯を失った、ばらばらな諸個人に過ぎないとの認識から発しているからである。個別の目的に賛同する諸個人が集まり、目的が果たされたのなら散会し、また問題が生じればこれに抵抗する諸個人がふたたび団結するのでなければならない。新たな運動は、流動性であることを運命づけられている。そうでなければ観念論ベースの旧来の社会運動のように、内部分裂や諸派対立を繰り返しながら消滅することになってしまうだろう。いまのところ、輝かしい唯一の理想はない。緊急を要するのは、<わたしたちの未来を取り戻す>、つまり諸個人が自らの生存と基本的な人権を確保し直すことである。
http://mahamaha.cocolog-nifty.com/kyoyo/2006/02/post_eeb2.html

憲法改正を問題として言ってみれば、<生存>を守るための、戦争に駆り出されぬための、9条を守るための団結が、その目的に特化した団結が必要なのである。
また、この問題は外国、具体的に言えば韓国と北朝鮮、それにアメリカにとっても多大な影響のある問題で、彼らは直接戦争に関わる。さらにイギリス、イタリア、オーストラリアから、モンゴル、グルジア、トンガまで、アメリカに追随して派兵する可能性のある国の国民にも関係がある。もっと言えば、戦争を望まぬ全ての人々にとって、日本の憲法改正は看過できない問題となり、そこで連帯はトランスナショナルとなる。


本来は市民社会の側でこれをやらねばならなかったのだが、逆に政治家にやられてしまったのが2005年の総選挙で、小泉純一郎郵政民営化を唯一の目的と掲げ、自民党をそれを達成するための集団とした。かくしてそれは実現されたが、小泉自民党はもちろん解散などせず、そのまま好き勝手に重要法案を通し続けている。


目的を達成したら速やかに解散しなければならない。護憲新党のメンバーとして世に倦む日日にて挙げられた人々も、僕が挙げた人々も、元来政治家ではない。9条を守るために常に国会に居座ることが出来る人々ではないのだ。またそのような政党が国会に居座ることも問題だ。他にも解決しなければならない問題はたくさんある。
しかし、たとえ来年の選挙で彼らが勝利し、9条改正の危機を免れたとしても、その後解党してしまえばまた改正へのブレーキが効かなくなる。


ではどうすればよいか。

憲政党のゴール案

恒久的に9条を守る仕組みを作るしかないのだ。ここで参考にしたいのがドイツの憲法である。以下、昔から憲法改正に積極的な態度を取り、そこに尽力してきた自民党衆議院議員 中山太郎の論考を引用する。氏は同じ敗戦国である日本とドイツの憲法を比較して、次のように述べる。

連合国の占領下で誕生した日本とドイツの新憲法は、民主主義や基本的人権の保障など普遍的理念を柱にすえたことと、戦力をもたないことで共通していた。しかし、ドイツではその後、基本法憲法)を何度も改正して再軍備を実現。1993年9月末には成立以来38回目の改正を行い、制定後一度も変更したことのない日本とは対照的な動きを示している。

つまり、国際情勢がどう変わろうと不変の日本国憲法、時代の必要に応じて変わっていくドイツ憲法、というところが、両者のもっとも大きな相違点といえよう。
(中略)

ただし、ドイツ基本法では変更の許されない条項もある。それは、第1条の人間の尊厳の保障、第20条の民主的法治国家国民主権の原理、第79条3項の州による連邦国家制度の三点。これらは、議会の3分の2の賛成でも内容の変更はできないとされている。戦前のナチスによるユダヤ人迫害や、強力な中央集権国家ゆえに引き起こされた侵略戦争などへの強い反省から、再びそのような国家になることを防ぐための規定である。

ドイツが基本法の施行後、38回もの改止を行っているのは、多くは技術的な改正で、重要な改正は国家安全保障のためである。
http://www1.sphere.ne.jp/KENPOU/nakayama/nakayama2.html


ここで言われているドイツの改憲規定は以下のように定められている。

第79条 [基本法の改正]
(1) 基本法は、基本法の文言を明文で改正または補充する法律によってのみ改正することができる。講和の規律、講和の規律の準備もしくは占領法秩序の解除を対象とする国際条約、または連邦共和国の防衛に役立つことが確実な国際条約の場合には、基本法の規定が条約の締結および発効に反しないことを明らかにするには、そのことを明らかにするだけの基本法の文言の補充で足りる。
(2) このような法律は、連邦議会議員の3分の2および連邦参議院の表決数の3分の2の賛成を必要とする。
(3) 連邦制によるラントの編成、立法における諸ラントの原則的協力、または第1条および第20条に定められている諸原則に抵触するような、この基本法の改正は、許されない。
ドイツ基本法


ここからアイデアを拝借したい。ドイツの再軍備の是非はともかくとして、重要な項目の改正を禁ずるのはよいアイデアで、さらに現在まで独裁者の暴走を許さずに運用されてきているという実績もある。一方日本国憲法第9条も、定められてのち60年も他国に戦争をしかけなかったし、また侵略の危機にもさらされず、平和のうちに暮らしてくることができたという実績がある。


これを9条を守る仕組みとして導入する。つまり、憲法の改正について定めた、第96条を改正するのだ。
今の第96条はこうだ。

第9章 改正

第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

国会で2/3以上の賛成を獲得し、その後国民投票にて過半数の賛成を獲得すれば、憲法は自由に改変が出来る。たとえばイラク開戦時のアメリカでは、世論が政府のプロパガンダにだまされて開戦に大きく傾いたが、もし日本がこのような状況になった場合、だまされた世論から憲法を守る手段が、まったくないのである。


たとえ一瞬の風であろうとも、その瞬間風速が大きければ、憲法はぽっきりと折れてしまうのだ。


これを改正して、日本の96条に9条を不可侵のものとして記す。それにより、恒久的に9条を守る仕組みが作られる。


最後にもう一度結論をまとめる。

  • 護憲のもとトランスナショナルな連帯を作り、護憲新党として結党する。
  • 96条を改正して9条を不可侵のものとすることをゴールと定める。
  • 目的達成後は速やかに解散する。

現在の運動としてはこのような形が望ましく、9条を守るためにはこのような運動が必要である。

*1:これがとてもよい記事であり、全文を読むことをお勧めする。

*2:僕はまだ読んでいない。