大内宿観光
このエントリーは、2006年GWの会津旅行の中で、大内宿について紹介したものである。旅行全体のインデックスは、以下のリンクを参照。
大内宿は江戸時代の宿場町で、現在もその姿を残した貴重な文化遺産である。もっとも、完全にそのままの姿という訳ではなく、トタン屋根の家もいくつかある。
大内宿へは、車以外に行く方法がない。最寄りの湯野上温泉駅からも歩いて75分かかる上、その道は歩道もなく危ない。ただ、GW中は後述する渋滞があるため、歩いたほうが良いかもしれない。
車がなければ基本的にタクシーで行くことになる。湯野上温泉駅には何代かタクシーが待ち構えているので、行きはそれで行けば良い。帰りはタクシーを呼ばなければならない。行きのタクシーであらかじめ迎えにきてもらう時間を決めておくか、電話番号を聞いておくかしなければならない。片道15分、1600円ほどである。もっともGW中は渋滞がひどく、国道を折れてから大内宿の駐車場に入るまで2時間、帰りも国道に戻ってくるまで2時間かかるそうだ。
町並みについては写真を見ていただいたほうが早い。
大内宿全景
舗装されていないながらきれいに保たれた土の道に、茅葺き屋根の家々が並び立つ。明治初期、新街道が少し離れたところにできたため、大内宿は山間に打ち捨てられる格好となったのだが、それ以降街は開発もされず、しかし廃村ともならず、ずっとこの町並みが守られたまま、現在に至る。国重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのが1981年だから、それまで町並みが守られてきたのはひとえにここに住む人々のおかげである。
前述の通りトタン屋根の家もちょくちょく見かける。前日泊まった「扇屋」の女将さんも嘆いていたのだが、茅葺き屋根は維持費がかかって大変なのだそうだ。これらトタンの家も、茅葺きの家と形が同じなので、並んでいてもあまり違和感がない。茅葺きの家から構造をそのまま残し、屋根だけをトタンに入れ替えているように見える。
茅葺き屋根の家々は、全て土産物屋か食堂になっている。街の範囲も狭く、何も見ずに5分も歩けばすぐに端に行きつく。その端から少し山に登れるようになっており、大内宿が一望できる。一枚目の写真は、そこから撮ったものである。
同じ宿場町には妻籠宿しか行ったことがないのだが、そちらと比べても明らかに狭い。また、昔のままという雰囲気は大内粥のほうが強い。これは土の道というのが大きく、妻籠は道が舗装してあるため観光地としての印象が強い。もうひとつ、妻籠のほうがそこに生活感があり、街として生命力が強いように感じる。一方の大内宿は、江戸時代のまま時がとまってしまったような印象を受け、寂しい。
大内宿については、『街道をゆく〈33〉奥州白河・会津のみち、赤坂散歩 (朝日文芸文庫)』のP.140あたりから少し記述がある。この本の中で司馬さんが訪れところてんを食べたという山本屋に行き、同じものを食べた。ここも茅葺き屋根の民家を使っており、土間から上がるとすぐにいろりが目に入る。
この街道は参勤交代にも使われ、初代会津藩主の保科正之や二代目正経が幾度も通った。大内宿は昼食で使われ、そのとき本陣が殿様の休憩所となった。この本陣、戊辰戦争の際に資料もろとも失われており、現在は他の建築を参考に推測で復元されたものがあって、内部が大内宿についての資料館になっている。