小泉首相の靖国参拝に関する一考

タイミングを逃してしまった感はあるが、本日は掲題の件について述べる。

靖国神社を参拝してもいいのか。

ここでは、小泉首相や、議員の方に限らず、全ての人を対象として、靖国神社に参拝してもいいのかどうかを述べる。

この問題は、iwatamさんのコラム「神道における神」に詳しい。ここではその一部を要約、引用する。

  • 神道の「神」は、一般的な「神」ほど特別なものではない。

神道の「神」は、キリスト教などで言われる、一般的な「神」とは異なる。八百万の神というように、万物に神が宿っているという概念だ。木にも、石ころにも、我々にも、魂が宿っていると考えるのが神道だ。そこらじゅうにあるものであり、また、死んだら誰でもなるものだから、ぜんぜん特別なものではないのだ。

  • 神道では、死んだ時に生前の罪はすべて消え去るため、A級戦犯であった「神」も悪ではない。

神道性善説に基づいている。純粋な「神」は善であり、悪はそれに外からくっつくものとしている。死んだときにはこれらの悪が全て消え去るため、たとえ生前A級戦犯であったとしても、その「神」は悪ではない。

よって、全ての人は、靖国神社に参拝すること自体に、まったく問題はない。

小泉首相靖国神社に参拝してもよいのか

上記理論で行けば、小泉首相靖国神社を参拝しても、基本的には問題ない。
しかし、先日のものを含め、これまでの参拝は駄目だ。ここではその駄目な要素を述べる。

  • 神道が世界に理解されていない

神道の「神」と一般的な「神」の違いは先ほど述べたとおりだが、その違いについて、理解している外国人はどれだけいるのだろう。外国人に認知されている神道とは、戦争に向かうにつれカルト化していった国家神道の方である。
小泉首相は、それを説明していない。誤解されたまま(あるいは本人すら誤解したまま)参拝をしている。戦争に向かっていた日本の国家宗教であったカルトに、現在の日本の首相が傾倒しているとすれば、他の国、特に先の大戦で日本にひどい目に合わされた国が反発するのは当然の話だ。

小泉首相は、今度の参拝に対する中韓の批判について、「心の問題に他人が干渉すべきじゃない」と述べているが、実際心の問題だけであれば、バレないように夜中にでも参ればよいのだ。よほどのバカでない限り、心の問題だけで自国の外交を悪い方向に導くなんてことはしない。
小泉首相がよっぽどバカであれば話は別だが、そうではないなら、靖国参拝を行うことに何らかのメリットがあるはずである。それが何なのかはこの後述べるが、推測でしかない。しかし、利益のための参拝だとしたら、それは心の問題ではなく、利用である。それがいけない。

靖国参拝を行うことのメリットはなにか。アンケートで参拝反対の人が多いことがわかっている現在、人気取りが目的であれば、参拝は避けるべきだ。右翼の士気は上がるかもしれないが、それにより大きなメリットを得るとは思えない。それでは、何のために靖国参拝をしているのか。
靖国参拝によって、確実に起きる現象が一つある。先にも述べた中韓の反発だ。これも、メリットどころか、大きなデメリットのように見える。しかし、少し掘り下げると違った側面が見えてくる。
靖国参拝が行われれば、中韓と日本の関係は冷え込む。外交にもすでに影響が出ているし、反日感情は高まるだろう。そして日本では、中韓反日デモの映像が放送される。たいていの人は、いわれのない(と本人が思っている)批判を受けたとき、相手のことが嫌になる。また、中国の攻撃性を見せつけられ、恐怖する。その恐怖は、すぐに軍拡、憲法改正に行き着く。軍拡し、憲法改正して軍隊を持ち、中韓の脅威に対抗できるだけの戦力を保持する。こういったことを望む人が増え、世論が憲法改正へと動く。
ここから先は不勉強でよくわからない。憲法を改正することで、小泉首相にどのような利益があるのか。そもそも憲法改正自体が目的なのか。勉強が必要である。
現時点での僕の意見は、吉本隆明が優れていると言った9条を変えることには反対だ。

まとめ

神道の観点から言えば、靖国参拝にはなんら問題ないが、小泉首相は十分な説明もなしに、自身の利益のため靖国参拝を行っている。これが問題なのである。繰り返し言うが、心の問題であれば、バレないように夜中にでも参ればよいのだ。