ジャン・ジグレール『世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実』

世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実

世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実

飢餓問題のこの上ない入門書である。
飢餓の問題は、多頭の怪物ヒュドラに例えられるほど非常に複雑であり、全体像を掴むことすら困難だ。本書はそこに貴重な地図を提供してくれる。

飢餓問題の地図

著者はヨーロッパで最も知られる飢餓研究者の一人、ジュネーブ大学の社会学の教授で、スイス連邦議会議員でもある。
本書は著者とその息子のカリムくんとの対話形式で書かれている。

  • 飢餓が起こるのはなぜ?
  • 援助が行き渡らないのはなぜ?
  • 自国で食料生産ができないのはなぜ?

このようなカリムくんの素朴な問いに、ジグレール教授は丁寧に答えていく。徐々にヒュドラの全体像が見えてくる。


一例を挙げよう。モノカルチャーの呪縛である。
モノカルチャーのモノはモノクロのモノ、モノトーンのモノ、単一という意味だ。第三世界の国は、植民地時代にプランテーションづくりを進められた。プランテーションは単一の作物を集中的に栽培する農園である。ヨーロッパの国に命ぜられるまま、茶なら茶、カカオならカカオ、ピーナツならピーナツばかり栽培させられてきたわけである。こうして国の主要な生産物がたったひとつの作物に偏ってしまうことをモノカルチャーと呼ぶ。
これは植民地支配がおわった後も大きな影響を残している。第三世界の国々は、現在でもモノカルチャーのままの国が多い。政府はそれを国民から安く買い上げて高く輸出する。先進国はこれらの作物を安く輸入する。互いに利害が一致しているので、システムを変えようとしない。そのため自国の食糧は輸入に頼らざるをえないが、そこにも政府の利権が絡む。そして国民はいつまでたっても貧困から抜け出せない。
こういう状態を称して呪縛と呼ぶ。ヒュドラの頭のひとつである。

モノカルチャーのように社会構造などが原因で長期的に食糧が不足する状態を「構造的飢餓」と呼ぶ。これは様々な要素が複雑に絡み合って作り出されるものであり、モノカルチャーもその要素のひとつでしかない。
また、天災などで突発的に起こる飢餓は「経済的飢餓」と呼ばれる。これについても現在十分な対応ができないでいる。


ジグレールの全体図には、もちろん我々日本人も描かれている。
食料を外に頼ることで、食料の市場価格が高くなるのである。顕著な例は1993年の米不足で、このとき日本が外国米を買い漁ったため、アフリカの国々で米が十分に輸入できないという事態をまねいた。
さらに、あまりにひどい飢餓の現状は報道せず、開発の援助はあくまで自国の利益を優先、そして、飢餓を日常風景としてしまっている我々は、本書でその罪を暴かれる。

飢えを日常風景とする言い訳

飢餓を日常風景とするために、人々は言い訳を必要とする。
ジグレールが指摘する言い訳は2つある。


ひとつは自然淘汰

たとえば、「飢えは爆発する世界人口を抑えるのに一役かっている」「飢えによる人口調整のおかげで酸素不足に悩まされることもない」「飢えのおかげで、過剰な人口がもたらすであろうさまざまな厄介ごとが解決される」「飢えは自然淘汰作用だ」というようにね。
P.24

この考えはトーマス・マルサスが『人口の原理 (岩波文庫 白 107-1)』に記したのが最初で、これが1798年に出版されたのち、ヨーロッパの支配者層や研究者に広く読まれ、自然淘汰という思想が浸透していった。現在でもマルサス関連の書籍はちょくちょく出ている。

ジグレールはこれを明らかに間違っていると言い切る。
しかし、正常な感覚の人々に飢餓の現実は見るに耐えないものだとして、こう続ける。

そういう人びとが良心の呵責(かしゃく)から逃れるために、あるいは現状に対する激しい怒りを抑え込むために、自分でもそれと気づかないうちにこのエセ理論に頼っている。悲惨な光景を忘れ、抑え込み、ないものとして心の目を閉ざそうとしている……。そして「やり過ごそう」というわけだ。
P.28


2つ目の言い訳は「ネオリベラリズム」、「市場原理主義」である。
市場原理主義は政治や国際情勢に左右されず、市場原理による「見えざる手」の導きにより、公平な社会が実現されるという考えで、ネオリベラリズムはそれを重要視する経済思想である。アメリカがその代表格であるし、小泉政権新自由主義の政策をとった。
新自由主義には賛否両論あるが、こと飢餓の問題に関して言えば、市場原理主義でいけば食糧の公正な分配がおこなわれないことは明白である。ジグレールは、自由市場にすべてを任せるのは犯罪行為に等しいとまで言う。

なぜ飢餓が無くならないのか。

豊かな食糧が公平に分配されていないということが、現代の人間社会がかかえているいちばんの欠陥ではないだろうか? 食糧自体は豊かに存在するにもかかわらず、貧しい人びとはそれを入手するための経済的手段を持っていない。そのため不公平な食糧分配しかおこなわれず、なん百万人もの餓死者を生み出しているのだ。
P.23

ジグレールは実に明快に指摘する。カリムくんの「じゃあ、飢えは運命ではないってこと?」という問いにも、力強く「まったくそのとおり」と答えている。
そしてこの課題には「各国が自給自足の経済を自らの力で達成する」(P.153)というはっきりしたゴールもある。
しかし、一向に解決が見えない。なぜか。
投資家の野心、官僚の利己心、そして我々の無関心。このどれもが程度の差こそあれヒュドラの餌となっている。


ジグレールは、この本がヨーロッパでベストセラーとなったのち、国連人権委員会の特別報告者となり、飢餓を根絶すべく更なる戦いを続けている。
しかし、皆が力を合わせぬ限り、このヒュドラは倒せない。