戦争をしたい気持ちを考える
司馬遼太郎のエッセイ集『司馬遼太郎の考えたこと6』を読んで、日露戦争、太平洋戦争について少し知った。これを元に、戦争がしたくなる気持ちを考えた。
話は日露戦争まで遡る。日露戦争において、日本は自国が弱小国であるという事を十分に意識して、それでもなんとかロシアから領土を守ろうと必死に知恵を出して戦った。そうしてロシア艦隊を全滅に追いやった。
戦争の結果というのは単純な認識をもたらすもので、つまり日本軍はロシア軍より強かったという事になった。しかしこれは当時の人々の常識と照らしてもおかしな事であった。本来は戦争を分析してなぜ勝ったかを明らかにしなければならなかったのだが、日本はそれをしなかった。そうして日露戦争の勝利は「神秘的な大勝」とされ、日本軍は戦えば勝つという理論もへったくれもない意識が蔓延した。
こんな具合に始まったのが太平洋戦争で、国力が列強においつかないため、陸軍の戦車は列強のものより劣ったものしか作ることができず、また指導部が上記のような気分であったためか、弱い戦車隊でも相手の隊と同格と考えて作戦を立てるような愚かな真似をやっていた。*1
そうして太平洋戦争は、負けるべくして負けた。
敗戦後、戦争責任は戦犯の処刑とともに過去のものとなり、日本人はきれいになったような気持ちになった。日露戦争と同じく、ここでも分析が欠けている。以下、少し長いが前出の司馬遼太郎の文章を引用する。これは、ステパーノフの『旅順口』袋一平氏の解説を批判しての言葉である。
太平洋戦争という、この世界史的感覚を欠いた愚劣な戦争によって日本はアジアに惨禍をもたらし、みずからも国土を焼かれ、厖大な国民の生命をうしない、敗戦によってそれらの罪がすべて過去の体制にあるという価値転換をおこなった。過去に罪をかぶせることによって誰もが傷つかずに済むという思考法が、マスコミや知識人のあいだで一種の定型になっていた時代である。結局は一つの袋小路から他の袋小路に思考を移しただけのことで、物事なり自己なり、あるいは自国の課題なりを世界的な場でながめるという広量さに欠けていたという点では、戦前の日本とかわりがなく、この『旅順口』の訳者の解説にあらわれている日露戦争についての史的立場もその弊の外にあるものではなかった。
ここまでが、『司馬遼太郎の考えたこと6』を読んで、僕がざっと得た日露戦争、太平洋戦争の概略だ。
後半は、それを経た人がどのような心持ちになるかを考える。
戦後生き残った戦争経験者の多くは、高級軍人ではない、位の低い人たちである。彼らは貧しい軍事力と高級軍人の愚策の上での戦いを強いられ、そして負けた。
生き残った人々はきっと、あのときもっと優れた指導者がいたら、とか、欧米並みの兵器があれば、とかいうふうに、たらればを考える人もいるだろう。日本人は、恨みは忘れやすく、後悔はよく覚えている特性を持っているから、そういう風に思うことはおかしくない。
そうこうしているうちに、日本はみるみる国力をつけ、軍事費も世界第三位となった。そこで戦争に心残りのある人たちがどう思うか。もう一度やり直してみたいという気持ちになるのではないか。
こう推察にはまだ理由がある。司馬さんの文章を読んでいると、戦争というのがイレギュラーなことのようには思えなかった。うまい言葉が見つからないが、当時の人々にとって、「ある」ことであったように感じる。そう考えると、むしろ60年も戦争が起こっていない状態の方こそ、こういった人々にはイレギュラーに感じられ、望む望まないに関わらず、そろそろないとおかしいという気持ちがあるのではないか。
これは、生き残った人々が全員そうだと言っているのではないが、生き残った人々に限った話でもない。つまり、戦争に出ていない世代にも、太平洋戦争の無念を聞いたときに、そのような心持ちになる人もいるのではないだろうか。
と、そうに違いないと思って書き始めてみたものの、書いているうちに自信がなくなってきた。本当にそうやって思っている人はいるのだろうか。やはり戦争については知らない部分が多すぎる。勉強が必要だ。
*1:これは陸軍についての話で海軍がどうだったのかはよくわからないのだが、きっと似たようなことが言えるのだろう。