戦争を考える

戦争ってどうなんだと聞かれれば、僕はダメだと応える。これは脊髄レベルでの反応で、頭で考えてもいない。頭で考えるまでもなくダメなことだと思っているのだが、ではそもそも戦争とはなんなのかというもの、実は良く知らない。知らないことを自覚しており、それが正しいとも思っていた。しかし、最近その考えが改まった。やはり戦争とは何かを考えなくてはいけない。
そう思い、まずは自分が戦争についてどのようなイメージを持っているか、思い出してみることにする。


その前に、戦争を知らなくても良いと正当化していた部分と、その後の変節について述べておく。
これは、高専のころに読んだサリンジャーの短編集に影響を受けての考えであった。ライ麦畑でつかまえての主人公でもあるホールデンが、「僕は誇りを持って戦争に行くけど、帰って来てそれを語るようなことは、絶対にしてはいけないと思う」というような旨の台詞を言う。戦争に行った者が語る体験というのは、いくら悲惨で、戦争を止めるように訴える言葉であっても、そこには幾分かの興奮、高揚と、当時を懐かしむ気分が入ってしまう。その気分は敏感に伝わり、聞く者の戦争への憧れを喚起する。だから語ってはいけない。僕はそのように解釈し、共感した。だから、憧れが喚起されるくらいなら戦争については知るべきではないと考えていた。
しかし、つい最近読んだ本でその考えががらりと変わった。それは司馬遼太郎のエッセイ集「司馬遼太郎の考えたこと6」で、そのなかで司馬さんは、太平洋戦争時戦車隊に配属されていた経験を元に、戦車を通して戦争、その当時の日本について述べていた。司馬さんの書く戦争からは、興奮やロマン、ノスタルジーがほとんどなかった。そのため客観性が際立っていた。このように戦争を語ることができるのであれば、それはしっかりと勉強すべきものなのかもしれないと思い直した。


それでは本題に入る。

幼少時、アニメ映画を通した戦争

戦争は悲惨なものというイメージは、本当に小さいうちから培われたように思う。それは「はだしのゲン」と「火垂るの墓」から作られたイメージだ。
はだしのゲン」では戦争=原爆というふうに刷り込まれ、原爆のイメージとしては、放射能を浴びると髪の毛が抜けるという強烈なものがあった。小学校に上がる前に見たので、ストーリーは全く覚えていないのだが、このイメージだけは鮮烈に残っている。「火垂るの墓」はさらに悲惨で、怖くて最後まで見られなかった記憶がある。しっかり最後まで見たのは中学に上がってからだろうか。
この2つのアニメにより、まず戦争の基盤イメージが作られる。
戦争は悲惨で、なんにもよいことはない。やってはいけないことなんだという認識である。


小さい頃には、他にも戦争をテーマにした映画に触れたと思うが、その数は少なかったように思う。映画で思い出せるのはランボー後2作だが、これは戦争が舞台として使われていただけで、戦争そのものを伝えるようなものではなかったように思う。ランボー本人にしても、戦場における兵士ではなく、たとえば仮面ライダーのようなファンタジーのヒーローとして捉えていた。


戦争を扱った作品は、この時点で2分して捉えている。悲惨さを伝える前者のアニメ2本がリアルな戦争で、ランボーがファンタジーのなかでの戦争である。この捉え方は、現在もかわらずに行っているが、ファンタジーから戦争を学ぶこともたまにある。


ここで、ついでにこれまで見た戦争映画についてまとめる。

この中の、前5つをリアルな戦争、後ろ2つをファンタジーの中での戦争というふうに捉えた。後者については、他にもテレビでアクション映画を見ていると思うが、印象に残っておらず思い出せない。逆に、前5つの印象は強く、どの映画もその場面や気分を思い出すことができる。

湾岸戦争

さて、そうこうしているうちに、現実として、湾岸戦争が起こる。
今から15年前、1991年初頭に始まった。僕は当時小3で、新聞はテレビ欄と四コマ漫画*1しか読まず、ニュースも6時のNHKのニュースを、母方の祖父母、両親、弟と一緒に夕ご飯を食べながら見ていた。
戦争については、上記のようにイメージがある程度固まっていたにもかかわらず、僕は湾岸戦争に悲惨さを感じなかった。湾岸戦争と、2つのアニメを同じものと考えることができなかった。戦争なんだから大変なのだろうと思っていたし、そう思うべきなのだろう、なんで思えないんだと少し悩んだりもしたが、どうしても実感がわかない。ゲームのようだと評されたようだが、それもわからず、ただただ単調な画面に退屈していた。
海外で起きていることは、このとき現実として認識できていなかったのだと思う。その後の自衛隊PKO活動についても、行ったんだとしか思わなかった。

ユーゴスラビア紛争、カシミール紛争

次に事実として戦争にあたったのは、少し飛んで高専の3年のときになる。このときは戦争ではなく紛争であった。
1999年、高専3年における地理の授業*2で、当時の世界情勢に関する問題がテストに出るというので、珍しく新聞の国際面などを読んだ。当時はユーゴスラビア紛争、カシミール紛争が激化しており、国際面はそれについての記事が多かった。1年前に「ボクサー」を見ていたため、紛争の具体的なイメージができ*3、知っていなければいけないことなのだと思って読んでいた。

アメリカ同時多発テロ事件イラク戦争開戦

その二年後、高専5年のとき、今度はアメリカ同時多発テロ事件があり、その後のアメリカのアフガニスタン侵攻へと続く。同時多発テロについてはやはり現実感を持って見ることができず、映画を見るようにテレビを見ていた記憶がある。また、ニュースも新聞も見ていなかったので、アフガニスタン侵攻については、ほとんど知らなかった。アメリカがオサマ・ビン・ラディンを追いかけて攻撃しているんだろうな、くらいに思っており、戦争だという認識はなかった。
この辺りのことについては、2005年に古本で買った「非戦」を読んで、ようやく実感を得ることができた。


続いて2003年にイラク戦争が始まる。
僕は当時大学3年で、ちょうど就職活動の時期に開戦したため、就活向けの勉強としてニュースを見ていると、その話題が入ってきた。
イラクについては湾岸戦争のときに悪い国というイメージが定着していたため、フセイン政権が倒されるのは良いのかなとも思っていたが、国連の支持を得ないまま開戦したとか、石油を狙った戦争だとかいう報道を見るにつけ、アメリカもあくどい*4ものだと思うようになった。結論として、どっちも悪いが、イラクが幸せになればいいんじゃないかと思い、それ以上調べようとか、動向をしっかり見守ろうとかいう気にはならなかった。

華氏911

これが翌年に公開されたマイケル・ムーアの「華氏911」を見て気分が一転した。それは、抗いようのないリアリティでもって「火垂るの墓」で見たような戦争の悲惨さを突きつけ、またその元凶をショッカーのようにわかりやすく描いた。これを見た僕は憤りと共に危機感を持った。世界はまずい方向に進んでいるんじゃないかとか、悪の元凶に尻尾を振っている日本も他人事ではないとか、そういうふうに思った。
どう対応すればいいのか考えても、そもそも現在の世界情勢について知らないことが多すぎることに気づき、まずそれを調べることをはじめた。暗いニュースリンクを読みあさり、また他の紛争についてはwikipediaで概要を調べた。その程度しかしなかったが、はじめて自発的にそういうことを調べたのがこの時だった。

まとめ

ここまで書いてきてわかったことをまとめる。

  • 戦争のイメージは「悲惨」。ものごころつく前に固まり、未だに変わっていない。
  • 戦争について「知りたい」ではなく、「知らくてはいけない」と思っていた。
    • この考えは「ボクサー」を見た高専2年の時に強くなった。
    • 映画で戦争の辛さを見るとき、責務を果たすように感じていた。
    • 自ら積極的に調べるという態度は、つい最近までなかった。
  • 知るだけではダメで、何かしら対応をしなければと思ったのは「華氏911」を見てから。
  • 戦争の本質を知ろうとしたことはない。

*1:北海道新聞の漫画は「ほのぼの君」で、基本的には3コマだった。

*2:この授業の教師は、「エビと日本人」をとても簡略化した話もしていた。日本人がエビを食べる←東南アジアからエビを大量に輸入する←エビの養殖が盛んになる←養殖用のいけすすをつくるため、マングローブが伐採される、というものだ。今にして思えば、いろいろと伝えたいことがあり、教師になった人だったのかもしれない。

*3:実際は、アイルランド独立闘争とは大きく異なるものだったのだが

*4:「悪どい」ではないということを、この記事を書いているうえではじめて知った。あくどいの「あく」は煮物のときなどに出るアクから。